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北京条約(清-露)

1860年、アロー戦争の後、清とロシアの間で締結。ロシアが沿海州を獲得し、領土を拡大した。

1860年、アロー戦争の終結に伴い、清朝が講和条約として英仏と北京条約を締結したが、それを仲介したロシアがその報酬として清とのあいだに結んだ条約も北京条約という。ロシアは清に対し、黒竜江左岸の領有の確認と、沿海州の領有を認めさせた。このときの国境線が、現在のロシア中国の東部国境線となっている。またロシアは獲得した沿海州の海岸部に新たにウラジヴォストーク港を建設、不凍港を獲得し、日本海に進出することとなった。この条約で中ロの東部国境はアムール川とウスリー川を国境とすることとなったが、河川内の中州はほとんどロシアが占有しそれをソ連が継承したため、1960~70年代の中国とソ連の中ソ国境紛争が起きることとなる。 → ロシアの東アジアへの侵出 
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第13章3節 東アジアの激動