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シベリア鉄道

19世紀末にロシアが建設したシベリアを横断する鉄道。1905年に完成。

19世紀末、ロシアが帝国主義列強に対抗して東アジアに進出するために、シベリアの原野を横断する鉄道の建設を計画した。まだ資本、技術に不十分なものがあったため、フランス資本の導入に依存することにより、1891年から工事が開始され、1905年に完成した。これによって極東のウラジヴォストークまで鉄道でつながれ、帝政ロシアのアジア進出が可能になった。

皇太子ニコライの遭難

 なお、1891年のシベリア鉄道起工式はウラジヴォストークで挙行されたが、その式典に参加する途中、日本に立ち寄った皇太子ニコライ(後のニコライ2世)は、大津事件(日本人巡査に斬りつけられた事件)に遭遇した。事件は突発的なものであったが、背景には日本国内のロシア脅威論が悪感情にまで沸騰していたことがあった。しかし明治政府はロシアを刺激することを恐れ、裁判に圧力をかけ犯人の巡査を死刑にしようとした。それに対して大審院判事(現在の最高裁判所裁判官)児島惟謙が、司法権の独立を守り、刑法通り殺人未遂罪を適用して無期懲役の判決を出した。それが司法権の独立という近代法治国家の原則が守られたとして評価されている。
 なおニコライはこのとき頭に受けた傷がもとで、生涯頭痛に悩まされたと言う。

東清鉄道と日露戦争

 シベリア鉄道の建設を進める一方、ロシアはウラジヴォストークへの近道である満州横断をねらい、1896年には、清国に迫ってシベリア鉄道のチタから中国領内を通り、ウラジヴォストークを結ぶ東清鉄道の敷設権を認めさせた。
 シベリア鉄道・東清鉄道の建設は日本及びアメリカを刺激することとなり、特に日本はロシアの勢力が朝鮮半島に及ぶことを恐れ、シベリア鉄道による兵員輸送が可能になる以前にロシアのアジア進出を阻止する目的で日露戦争に突入した。
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ノートの参照
第14章1節 オ.ロシア