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農業革命(近代)

18世紀後半イギリスで産業革命と平行して起こった輪作法の普及などに伴う農村社会の変革。基本的には農村の自給自足体制がくずれ、商品としての農作物に特化した生産を行い、必要な食料は輸入に依存するという現在の農業生産形態に移行したことを言う。

 農業革命とは、技術面では中世以来の三圃制農業に代わって輪作法が普及し、農業経営ではジェントリーによる経営に代わって資本主義的農場経営中心に変化したことを言う。
 産業革命の産業経済の発展は都市人口を増加させ、その食糧供給のために農村でも穀物増産にせまられた。その過程で起こった第2次囲い込み(エンクロージャー)の進行に伴い、さらに農民の賃金労働者化が進み、地主から広大な土地を借りた資本家がその賃金労働者を雇って、利益を上げるために穀物生産を行う資本主義的農場経営が広がった。農業技術も、それまでの伝統的な三圃制農業に代わって、ノーフォーク農法と言われる、四圃制農業(かぶ、大麦、クローバー、小麦を輪作する輪作法)が行われるようになり、穀物生産が増大し、産業革命による人口増加を支えることが可能となった。 → イギリス(6)
 ジェントリーなどの保守層は自己の権益と農村社会の維持を図って、1815年に穀物法を制定したが、産業資本家は自由貿易を要求し、ついに1846年に穀物法は廃止される。これは農業革命を完成を意味し、これによってイギリス農村は、中世的な共同体的自給自足経営や非商業的な体質は一掃され、大土地所有者は減少し、基本的には商業的借地農業経営者(農業資本家)と雇用労働者からなる農村社会に変質した。
 なお、人類が狩猟採集経済の段階(旧石器時代)から、農耕・牧畜(新石器時代)を開始したことによって起こった変化も農業革命(新石器革命)という。食糧生産技術の変化は、つねに人類社会の変革をもたらす導因であった。

気候変動と農業革命

 17~18世紀は「小氷河期」とも言われる寒冷な気候が続いていた。その原因はまだ充分に解明されていないが、太陽活動の影響や深層海流の変化、火山爆発の連続などが考えられている。この時期がヨーロッパにおいてゆるやかに農業革命が進行した時代である。単純に気候変動が農業革命をもたらしたという「環境決定論」は否定されてるが、気候変動が戦争や疫病と並んで環境ストレスを引き起こす要因であることも無視できない。人びとが自給自足農業から臨機応変に農業を変化させた背景には、気候変動に対応して十分な食糧を確保するという切実な問題があったのであり、そのためにゆっくりと農業革命が起こった。
(引用)この革命は北海沿岸低地帯(引用者注 フランドル地方)で始まり、17世紀から18世紀のあいだにイギリスに根付いた。フランスではそれよりはるかに遅く起こり、アイルランドではジャガイモだけを単一栽培するという危険なかたちで進んだ。それが歴史におよぼした影響は計り知れない。イギリスでは農業革命がもたらした食糧によって、産業革命で急速に増える人口を養うことができたが、その一方で社会は広範囲にわたって荒廃し、混乱をきたした。フランスでは農民の生活水準が徐々に低下し、政治と社会が混乱している時期に、不安や不穏な空気が広まった。そして、アイルランドでは、疫病で主要作物が大打撃をこうむり、イギリスが人道的な責任をはたさずに適切な措置を取らなかったため、最悪の飢饉となって100万人以上が死亡した。<ブライアン=フェイガン/東郷えりか他訳『歴史を変えた気候大変動』2009 河出文庫 p.194>

フランドルでの改革の始まり

 最初に農業革命の動きが起こったのはイングランドではなく、フランドル地方オランダの低地地方であった。この地方で穀物だけに依存しないで、家畜の飼料として空閑地にクローバーやソバ、ハリエニシダ、カブなどを植えるようになった。人口密度は高かったが、酪農とくみあわせ、穀物ばかりにたよる悪循環を裁ち切り、土地を肥沃にし、人口が更に増えた。さらにバルト海の港から大量の穀物が輸入され、地元の穀類が脅かされるようになると、農民はより有利な道を選び、自耕自給の農業を離れて専門化していった。低地では耕地を増やすために干拓が行われていった。

イングランドとアイルランド

 イングランド王国では16世紀の終わりエリザベス女王の時代に自給できるだけの穀物を生産し、さらに海外に輸出していたが、1660年にオランダからの移民が寒さに強いカブをイングランド東部に伝え、休耕地に植えられて乳牛の飼料となり乳牛や肉牛の餌にされ、牛乳と牛肉はロンドンの市場で売りにだされた。この当時の寒冷な気候にあった農法は、イングランド中部の進んだ農耕地帯に広がり、広い土地を囲い込むエンクロージャー(第2次)が進んで共同農場は単独保有の企業的農園へと変わっていった。
 一方、イングランドの隣のアイルランドでは、穀物は自給用ではなくイングランドへの輸出用として生産され、農民の食べる作物としてジャガイモが導入された。イングランドでは家畜の餌か穀物不作の時の代替食糧としてしか扱われていなかったジャガイモが、アイルランドでは唯一の自給用作物とされていった。このころが1840年代のアイルランドのジャガイモ飢饉の被害が大きくなった背景だった。  
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