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封建地代の無償廃止

1793年7月、ジャコバン独裁政治のもと、国民公会で決議された領主の地代徴収権を無条件に無償で廃止し、農奴制の解消をもたらした重要な改革。

フランス革命の始まった1789年に、全国に拡がった農民暴動を受けて、国民議会において、封建的特権の廃止が議決された。しかしこの時は封建的特権のうち貢租(実質的には地代)は有償廃止とされ、農民は20年~25年分の地代を払わなければならないということであったので、多くの農民には支払い能力が無く、地代負担はなおも存続した。つまり、この時は農奴解放は不十分であったので、農民の不満はさらに続いていた。
 1792年の8月10日事件(フランス革命の第2次の高揚)によって王権が停止された後、立法議会では、革命の推進をはかるジャコバン派が台頭し、その主導によって事件直後の8月25日に、封建地代の無償廃止が可決された。しかし、この時も、「封建領主の合法的な領有を証明する文書を提出しないかぎり無償廃止」つまり条件付き無償廃止とされたので、やはり不徹底であった。
 そして、再びサンキュロットの蜂起によって1793年6月にジロンド派が追放された後の7月17日、ロベスピエールらジャコバン派独裁政権の下で、国民公会一切の条件を付けずに封建地代の無償廃止を決定した。「封建制度の完全な破壊」がここに実現し、封建負担にかかわりをもつ文書はことごとく焼き捨てられ、違反者は5年間の懲役に処すという厳しい条件であった。「農民は村の広場に集まり、土地台帳や契約文書のかずかずを歓呼の声とともに焔のなかになげこんだ。これは農民革命の勝利であった。」<河野健二『フランス革命小史』1959 岩波新書 p.149>

内容と意義

 1793年7月の法令は、第一条で「以前の領主的貢租、定期的および臨時的な封建的、貢租的な諸権利のすべては、昨年8月25日の法令によって保持されているものも含めて、無償で廃止される。」と規定された。昨年8月25日の法令とは、立法議会で決められた条件付き無償廃止のことである。これによって革命前の全国の土地の約三分の一を占めていた農民保有地が近代的な意味での農民所有地に転化し、数百万に及び農民が地代から解放された。貴族階級には決定的な打撃となったものであり、これによって中世の封建社会以来の領主農奴の関係はフランスにおいては完全に消滅した。<『資料フランス革命』P.385>
注意 封建地代の無償廃止の時期 山川出版社の世界史用語集B(2010年刊)では、「封建地代の無償廃止」を1793年7月のこととし、〔 〕付きで、「なお、いずれの教科書の説明とも異なり、この法案は1792年8月、ジロンド派が主導権を握っていた立法議会で最初に可決されたとの説が出されている」と説明されている。しかし、上述のように、封建地代は、1789年に国民議会で“有償廃止”→1792年8月の立法議会で“条件付き無償廃止”→1793年の国民公会で“無条件の無償廃止”という経過をとった(実際にはもっと複雑な課程をとっている)ということであって、92年の無償廃止は「説」として出されているのではない。92年の条件付き無償廃止がどの教科書でも取り上げられいないので、異説のように思われたのだろうが、フランス革命の概説書では以前から三段階で封建地代が廃止されたことは説明されている。高校での世界史学習では、1793年7月に封建的地代が無償廃止された、という理解で何ら問題ない。

革命後のフランス農民の保守化

 フランス革命の過程で封建地代は無条件で無償廃止されることとなり、農奴制は終わり、農民は自立した自作農になった。こうして近代的土地所有権を獲得した農民を、一般に分割地農民という。彼らのすべてがフランス革命の結果として出現したわけではなく、なかには革命前から徐々に自立を遂げていた農民もいる。彼ら豊かな農民は、革命で没収され国有地となった貴族や教会の土地が売却されると、それを買い取りて大土地所有をすすめて「地主」となっていった。一方で、自立はしたものの、零細な耕地しかなく、借地農となるものも多かった。こうして農村では新たな貧富の二極化が進み、地主や豊かな分割地農民は、財産としての土地所有を守るために、革命が進行して私有財産の否定まで行くことは避けようとし、革命の終結と安定した政権の出現を願うようになった。そのような社会情勢の変化が、ナポレオン政権を登場させた背景であった。
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ノートの参照
第11章3節 ウ.戦争と共和政