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シュレスヴィヒ・ホルシュタイン

デンマーク王国領であったがプロイセン・オーストリアが領有を主張。そのため1864年にデンマーク戦争が起こった。

シュレスヴィヒ州とホルシュタイン州はデンマーク王国の州であったところ。ユトランド半島の基部にあり、北部がシュレスヴィヒ、ドイツに近い南部がホルシュタイン。中世ではシュレスヴィヒがデンマーク王国に属し、ホルシュタインが神聖ローマ帝国に含まれていた。そのため、前者にはデンマーク系、後者にはドイツ系の住民が多かった。15世紀以降は両方ともデンマーク王国が領有することとなったが、デンマーク王はこの二州を公国として自治を認めていた。
 19世紀の民族主義の風潮の中で、これらの地のドイツ系住民がデンマークからの分離独立を要求するようになり、1848年のシュレスヴィヒに反乱が起こったがこれはデンマーク軍が鎮圧した(第1次シュレスヴィヒ戦争とも言う)。1863年にデンマークは憲法を制定、それをシュレスヴィヒに適用しようとしたことから、対立は緊迫し、ドイツ系住民の要請を受けたことを理由にしたプロイセン王国ビスマルクは、オーストリアをさそって1864年にデンマークと開戦した。これがデンマーク戦争(第2次シュレスヴィヒ戦争)である。
 その結果、1865年のガシュタイン条約によって、シュレスヴィヒはプロイセンに、ホルシュタインはオーストリアに割譲された。後に、この処分をめぐってプロイセンとオーストリアの間に対立が生じて、1866年の普墺戦争となり、プロイセンが勝利した結果、プラハ条約でホルシュタインもプロイセンの領地なった。
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ノートの参照
第12章2節 カ.ドイツの統一