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南部諸州の復帰/再建

南北戦争後、アメリカ南部諸州を合衆国に復帰させ、再建するために採られた措置。連邦軍の駐留の元で奴隷制禁止などの憲法修正を受けいれることを条件に、77年までに復帰した。しかし、南部では黒人差別が復活し、問題を残した。

 南北戦争の終結後、どのような形で南部諸州を復帰させるかは大きな課題であった。南部諸州を合衆国に復帰させるために採られた方策を「再建」Reconstruction といい、「再建期」とは1865年から、連邦軍が南部から引き上げた1877年までの間を言う。

黒人選挙権と再建法

 南北戦争後の南部をどのように再建するか、という困難な課題の舵取りを行うことになったジョンソン大統領は、リンカンの示した路線を継承し、南部諸州が憲法修正第13条(黒人奴隷制の廃止)を批准すれば即、復帰を認めると寛容な路線をとった。しかし、共和党急進派は穏健路線に強く反対し、徹底的な南部社会の改革を主張し、一時はジョンソン大統領を弾劾裁判にかけるまでにも至った(これは1票差で否決された)。議会は共和党急進派が優勢だったので、「再建」は過酷な条件で行われることになった。
 まず、連邦議会は憲法修正第14条を制定し、合衆国市民権は出生または帰化によって取得されるとして黒人の市民権を保障し、南部各州に批准を迫った。1868年以降、南部諸州は相次いでこれを批准し、連邦に復帰した。さらに1870年には憲法修正第15条を制定して、黒人投票権に制限を設けてはならないと定め、これも南部諸州は承認した。
再建法 さらに議会は1667年には「再建法」を成立させた。再建法は南部を5つのブロックに分けて連邦軍を駐留させ、軍政を敷くことと、合衆国復帰の条件として、反乱同調者の排除、憲法修正第14条と黒人参政権の承認などをさだめたもので、つまり軍隊を駐留させて黒人差別の撤廃を実現するという強硬手段を採ったものであった。その結果、条件を受けいれて各州が復帰したことによって、70万人以上の解放奴隷が選挙権を獲得し、州議会や連邦議会議員に選出される黒人も現れ、その一方、連邦への反逆罪を適用された白人の選挙権は剥奪(南部白人の10~25%)された。

Episode 「渡り者」と「火事場泥棒」の世界

 連邦軍の駐留という軍政のもとで、南部の再建は北部から乗り込んできた共和党急進派と、それに協力する南部の白人がかつての奴隷制大農園主(プランター=綿花プランテーションの持ち主)勢力にかわって南部を支配するようになった。このような北部から乗り込んできた白人は「カーペットバガー(渡り者)」Carpetbaggers と言われ、南部の「民主化」に努力したが、時としてその強引な手法は南部人の反発を受けたり、取り入ろうとした南部人からの収賄などの腐敗が問題とされることもあった。また、共和党の白人に取り入って利益を上げようとした南部白人は「スキャラワグ(火事場泥棒)」 Scalawag と言われた。カーペットバガーやスキャワラグによって財産を奪われた白人の一部には、黒人に対する憎悪を剥き出しにして攻撃を加えるクー=クラックス=クランが生まれた。

『風と共に去りぬ』のアメリカ

 『風と共に去りぬ』で描かれた、“風とともに去ったのは、南部の大プランターの繁栄”であり、“南部の繁栄”であった。主人公の故郷タラの農園はその繁栄のシンボルだった。1936年に発表されたマーガレット=ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』は、南北戦争で翻弄された南部プランターの娘スカーレット=オハラを主人公にし、愛に悩みながら苛酷な戦争と戦後の社会をひとりの女性が生きていくという物語で大ベストセラーとなり、39年に映画化され、アカデミー作品賞などを受賞した。
 日本では戦後に映画が公開され、大ヒットとなった。映画も前編の南北戦争までの南部のプランターでの優雅な生活から一転して、後編の「再建」時代の南部で無一文となったスカーレットが実業家として立ち上がろうとする姿が描かれている。彼女のもとに、かつてオハラ家の執事だった白人が「再建」に便乗して成功し、金を貸そうとやって来るが手荒く追い出される場面が出てくる。この男がスキャラワグであったのだろう。
 また白人を襲撃した黒人に対し、スカーレットの夫やかつての恋人が復讐する場面が出てくる。映画では彼ら白人男性は普通の人間として描かれているが、実は彼らは黒人に対する報復を暴力的に行う秘密結社、あからさまにその団体名は出てこないがクー=クラックス=クラン(KKK団)の団員なのだ。また、映画には黒人奴隷の生活の実態はほとんど描かれておらず。奴隷主の温情と純朴な黒人奴隷という構図しか見えてこない。この点は小説の発表当時から黒人の間では批判的に見られていた。<これらについては青木冨貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』1996 岩波新書 が詳細に分析している。>

「1877年の妥協」と再建の終わり

 南北戦争を機に、共和党は南部の黒人に、民主党は北部の労働者や新移民に、それぞれ新たな支持層を広げていった結果、それぞれ全国政党として連邦の政治に責任を持つ態勢を作り上げた。両党は大統領権力をめぐって激しく争ったが、その間に南部再建も取引の材料とされることとなった。
 1876年の大統領選挙では民主党のティルデン候補が選挙人選挙で多数を占めたが、共和党のヘイズ候補陣営から南部の三州で不正選挙があったとの抗議を受け、両党のボスが秘密裏に談合し、共和党ヘイズを当選とする代わりに南部の連邦軍を撤退させるという妥協が成立、1877年にヘイズが大統領に就任した。これが1877年の妥協と言われる政党談合であり、軍政による南部「再建」の時代は終わった。その結果、南部には古い民主党が復権し、黒人差別政策がとられていくこととなる。

「隔離はしても平等」

 合衆国に復帰した南部諸州では、黒人奴隷制の廃止を受け容れる形となったが、次第に黒人差別を強めていった。合法的な州法制定によって、財産によって選挙権を制限したり、有権者登録をする際に文字を書けないものには資格を与えないなどの制限を設けることによって、事実上の黒人投票権を奪っていった。また黒人取締法を制定して公共の場での隔離、区別を行うようになった。
 このような黒人分離政策に対し、黒人が憲法違反であると訴えた裁判では、最高裁が「隔離をしてもそれぞれ平等な扱いであれば差別に当たらない」という判決を出したため、黒人に対する区別は憲法違反ではない、とされ、南部においては事実上の差別が公然と行われるようになった。学校、病院、交通機関、公園などさまざまな公共施設で白人用と黒人用が分離され、それを破ろうとする黒人に対しては公然とリンチが加えられた。
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ノートの参照
第12章3節 ウ.工業国アメリカの誕生
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青木冨貴子
『風と共に去りぬ』のアメリカ
―南部と人種問題―
1996 岩波新書