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黒人差別

アメリカでは1863年の奴隷解放宣言以後も、主として南部で黒人に対するさまざまな差別が続いた。黒人の中からも差別反対の運動が起こり、戦後の1950~60年代には公民権運動が盛んになった。

 アメリカ合衆国では、南北戦争の最中に、リンカンによって1863年1月1日に奴隷解放宣言が出され、黒人奴隷制の廃止が実現した。続いて1865年の憲法修正第13条で憲法上、奴隷制度を廃止し、1868年の憲法修正第14条で黒人にも市民権が付与され、さらに1870年には憲法修正第15条で黒人投票権が付与された。南部諸州もこれらの憲法修正を批准して、合衆国に復帰し、アメリカにおける黒人奴隷制は法的に全廃された。
奴隷制度の廃止後も黒人差別は続いた 黒人奴隷制度の廃止は黒人差別が無くなることを意味してはいなかった。奴隷制度は否定され、黒人は人格と自由を勝ち取ったものの、経済的な自立ができる状態ではなく、貧困が続いた。それは白人との真の平等への障害となっていた。また、南北戦争の戦後、アメリカ合衆国に南部諸州が復帰し、駐屯していた連邦軍が北部に引き揚げると、黒人に対する露骨な差別感情が復活し、それは州議会で州法という形でさまざまな差別が合法化されていった。そのもとで、「奴隷解放宣言」後も差別され続けた黒人たちは、19世紀末から20世紀前半にはジム=クロウという蔑称で呼ばれるようになった。

巧妙な選挙権の剥奪

 まず、黒人投票権の剥奪は、1890年から20世紀初頭にかけて、ミシシッピ州に始まり、南部諸州に広まった。そのやりかたは、憲法修正第15条に抵触しないように、州憲法の中に「人頭税」や「読み書き試験」を取り入れることによって行なわれた。すなわち、有権者登録をする者は誰でも選挙係官に人頭税納入の受取りを見せ、また指示された州憲法や州法などの一節を読解しなければならなかった。これは「ミシシッピ・プラン」と呼ばれるものであるが、その他の南部諸州も、これに類似した方法で黒人選挙権の剥奪を行なった。人頭税や読み書き試験は黒人だけを対象にしたものではないが、当時の黒人の状態を考えれば、それが巧妙な黒人選挙権の剥奪方法であることはすぐわかる。

黒人に対するリンチ

 一方で黒人に対する凄惨なリンチが行われるようになった。これら一連の黒人差別に根拠をあたえる法律は黒人取締法であり、それによって黒人分離策がすすめられ、またKKKなどの人種主義者による公然としたリンチなどの虐待が行われた。

公民権運動の盛り上がり

 第2次世界大戦後の1950年代から60年代に黒人公民権運動が始まり、1964年に公民権法が成立し、法的な不平等は解消され、黒人などの非白人に対する優遇措置であるアファーマティヴ・アクションなどもじっしされるようになったが、都市における貧困の問題は解決されず、暴力的な活動で抗議を繰り返すブラックパワーが出現し、その後も黒人に対する人種差別問題はアメリカ合衆国の深刻な課題となっている。

Episode 「奇妙な果実」

 エピソードとしては深刻な話だが、当時の黒人へのリンチでは、殺された黒人の死体が木につり下げられ、奇妙な果実(strange fruit)と言われた。「‥‥信じられないことだが、黒人に対するリンチがあらかじめ予告され、女性や子供まで見て楽しむために集まり、木に吊された「奇妙な果実」から心臓や肝臓の薄切りをみやげに持ち帰ったという。」<猿谷要『物語アメリカ史』p.116-118 1999>
 ジャズ歌手のビリー・ホリディが1939年に歌った「奇妙な果実」は、その情景を抑制のきいた声で淡々と歌っている(CD『奇妙な果実』-ビリー・ホリディの伝説-で聞くことができる)。彼女の感動的な自伝も『奇妙な果実』というタイトルだった。
 → ビリー・ホリディ“奇妙な果実”(ユーチューブより)
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ノートの参照
第12章3節 ウ.工業国アメリカの誕生
CD案内

ビリー=ホリディ(Vo)
『奇妙な果実』
1939-40
書籍案内

ビリー=ホリディ
/由井正一・大橋巨泉訳
『奇妙な果実』
晶文社クラシックス