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天津条約(1885,清仏間)

てんしんじょうやく。1885年、清仏戦争の結果締結された清とフランスの条約。清がベトナムに対する宗主権を放棄した。

 フランスが1884年にベトナム阮朝保護国化したことに対して、ベトナムに対して宗主国であることを主張する清は、西太后の指示で李鴻章が宣戦を布告し、清仏戦争に踏み切った。戦争は必ずしも清軍の不利ではなかったが、李鴻章は朝鮮での甲申政変の勃発で日本との間の緊張が高まったため、講和を急ぎ、1885年6月9日に天津条約を締結した。

内容と意義

 この条約で清朝はフランスが阮朝と結んだフエ条約でのベトナム保護国化(厳密にはアンナンとトンキンの保護権)を認め、自らの宗主権を放棄した。ベトナム宗主権の喪失は、10年後の日清戦争における朝鮮に対する宗主権放棄とともに、清朝の外交上の大きな後退であった。
 → 1856年、アロー戦争の際に、清がイギリスと締結した条約も天津条約という。また同じ1885年に、前年の甲申政変を受けて、日本が清と結んだのも天津条約であるので注意しよう。
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