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国際仲裁裁判所

1899年、ハーグ万国平和会議で合意され、ハーグに設立された常設国際司法機関。

 1899年、ロシアのニコライ2世の提唱でオランダのハーグで開催された第1回万国平和会議において、参加国が国際紛争の平和的処理に関する条約を締結し、それによってハーグにおいて設立された、世界最初の国際的司法機関。それまでは国際紛争の仲裁は、その都度当事国によって選定されて行われていたが、この条約により締結国はあらかじめ選任した裁判官をもって常設の仲裁裁判法廷を組織させ、紛争が生じた場合は当事国双方の合意によってこの裁判所で審理されるという画期的な国際司法機関であった。しかし、紛争に際して当事国が仲裁を受ける義務は明記されず、この裁判所に処理された紛争はきわめて少なかった。

第一次世界大戦と国際仲裁裁判所

 1914年、サライェヴォ事件が勃発したとき、セルビアは事態の処理を国際仲裁裁判所にまたは諸大国の決定に委ねる用意があると表明したが、オーストリアはその提案に一顧も与えることなく、直ちに宣戦を布告した。この挿話的事実は、国際平和維持のためにはヨーロッパ協調にも常設仲裁裁判所にも大きな期待をかけ得なかったことを象徴しているといえる。<岡義武『国際政治史』1955 再版 2009 岩波現代文庫 p.338>

その後の国際裁判所

 第一次世界大戦後の国際秩序の維持を図るために国際連盟が発足したが、その外部機関として常設国際司法裁判所が設立された。それは国際仲裁裁判所よりも実効性をもたせるため、裁判の判決には拘束力を持たせることとしたが、国際連盟と同じように十分な効力を発揮できなかった。現在は国際司法裁判所(ICJ)が設置されている。
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ノートの参照
第14章1節 カ.アメリカ合衆国