印刷 | 通常画面に戻る |

朝鮮総督府

1910年、韓国併合によって設置された日本の朝鮮統治機関。当初は武断政治を行い、1919年の三・一独立運動を機に文化統治に転じた。

 1910年の韓国併合に伴い、従来の韓国統監府を拡充して京城(前の漢城。現在のソウル)に設置した。以後、1945年まで、日本の朝鮮植民地支配の中心機関となる。総督は天皇に直属し、韓国の政治・軍事の全権を握り、陸海軍の大将から任命されることになっていた。初代総督には陸軍大将寺内正毅が任命された(寺内はすでに朝鮮統監として在任しており、また陸軍大臣兼務であった)。
 朝鮮総督府による統治は、憲兵を主体とした軍人による強圧的な武断政治であったが、1919年に朝鮮民衆が独立を求めて三・一独立運動を起こすと、総督は文官任用も可とすることに改められ、「文化政治」と言われるソフトな統治方式に改められた。朝鮮総督は「陸海軍大将」を充てる規定から、文官も任用できると改訂され、その平県は廃止されて朝鮮軍司令官に委譲された。しかし、実際には朝鮮総督は1919年の斎藤実が海軍大将であり、それ以後も陸軍大将が任命され、軍人の名誉ポスト化した。
 いわゆる文化政治のもとで、総督府官吏には一部朝鮮人も任用されるなど、一定の融和が図られたが、基本的には自治は認められず、日本人警察官による警察制度、日本語教育の強化などによる皇民化政策の推進など、植民地支配の強化が図られた。また、米の増産など日本資本主義を支える植民地としての位置づけがさらに強められた。
 1940年以降、日本が全面的な戦争状態にはいると朝鮮に対しても「大東亜共栄圏」を支えるため、皇民化政策はさらに強められ、創氏改名朝鮮人の強制連行徴兵制の実施などの措置がとられた。

Episode 朝鮮総督府の解体

 朝鮮総督府の建物は朝鮮王朝の王宮である景福宮をを取り壊して、覆い隠すように建造された。第2次大戦後も大韓民国の政府庁舎となり、その後国立中央博物館として利用されていたが、1995年に尖塔部分のみを残して全て解体された。現在は宮殿が復元されている。韓国の国民感情としては、総督府の建物はいかに重厚な文化財だと言っても、忌まわしい植民地時代の象徴であったのである。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第14章3節 ウ.日本の韓国併合