印刷 | 通常画面に戻る |

デ=ヴァレラ

アイルランドの独立運動家、政治家。1916年のイースター蜂起、1919年からのイギリスとの戦争、1922年からの内戦のいずれにおいても、アイルランドの完全独立を掲げて戦った。1921年のイギリスとの妥協によるアイルランド自由国には反対し、ながく抵抗運動を続け、1932年に政権に就き、1937年に憲法を改正してイギリス国王との関係を廃止して実質独立を実現、国号をエールに変更した。

 アイルランドの独立運動の指導者であるデ=ヴァレラは、はじめシン=フェイン党に加わり、1916年のイースター蜂起を指導し逮捕されたが、母がアメリカ人でアメリカで生まれ、彼自身もアメリカ国籍を持つ二重国籍者であったため処刑を免れた。その後、1918年の選挙でシン=フェイン党を勝利に導き、自治を認めないイギリスに対するゲリラ戦を指導した。この1921年夏までの戦いをイギリス=アイルランド戦争(英・アイ戦争)ともいう。 → アイルランド問題(20世紀)

アイルランドの内戦

 妥協の産物としてイギリスは北アイルランドを除いてアイルランド自由国自治領とすることを認めた。その受入をめぐってシン=フェイン党は内部分裂し、内戦となった。デ=ヴァレラは全アイルランドの完全独立を主張してシン=フェイン党から分離し、アイルランド共和党(フィアナ・フォイル)を結成、自由国政府には加わらなかった。

エールに国号変更

 その後イギリスとの対決姿勢を強めて支持をひろげ、1937年には選挙で勝利して首相となり、まず新憲法を制定して国号をエール(アイルランドの固有の言語であるゲール語でアイルランドのことを意味する)とし、さらに国王の代理としての総督を廃止し、実質的な主権国家と資して独立した。ただし、形式的にはイギリス連邦に属することは維持された。

第二次世界大戦後のアイルランド

 第二次世界大戦ではチャーチルやF=ローズヴェルトの働きかけにもかかわらず中立を守り(スペインのフランコ政権と同様に)独自の道を歩んだ(アイルランド国民の中には義勇兵として連合国軍に加わるものも多数いた)。またデ=ヴァレラは国際連盟の議長として小国の理念を国際社会で主張するなど、国際社会でも独自の活躍をした。デ=ヴァレラは1948年まで16年間首相を務めたが、1948年、長期政権に対する国民の支持が失われ、選挙で敗れ首相を交替した。1959~73年は大統領を務めた。
 1949年、デ=ヴァレラ退陣後の連合政権の下で再び憲法が改正され、国号は「アイルランド共和国」に改められたが、同時にイギリス連邦からの正式な離脱が決まり、形式的にも最終的な独立国家としての形式が完成した。
印 刷
印刷画面へ