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イギリス帝国会議

1907年、それまでのイギリス自治領代表を集めた植民地会議を改称した。各国をイギリスと対等な独立国と認めた。

 その前身は1887年のイギリス植民地会議であり、1907年に帝国会議と改称した。単に「帝国会議」Imperial Conference ともいう。
 イギリス本国とその植民地の内の白人自治植民地である自治領カナダオーストラリア連邦ニュージーランドニューファンドランド(1713年からイギリス領。カナダとは別個な自治領であったが1949年にカナダ連邦に加入)、1910年からは南アフリカ連邦、1922年にアイルランド自由国の6カ国―との協議機関として不定期に開催された。
 帝国主義諸国間の抗争が激しくなると、イギリス帝国の枠組みとして重要な存在となったが、各自治領では本国イギリスへの従属に次第に不満を持つようになり、特に第一次世界大戦では本国に多大な協力をしたことから、見返りとしての完全な独立を要求する動きが強まった。
 戦間期の1926年に重要な帝国会議が開催され、そこで自治領側の本国との対等な関係の要求に答えて、イギリス元首相のバルフォアが座長となって検討した結果、バルフォア報告で自治領の要求を認めることとなった。1930年の帝国議会でそれが決議され、翌1931年にウェストミンスター憲章が発表され、それによって「イギリス連邦」が成立することとなった。
 1937年を最後として帝国会議は開催されなくなり、1944年からはイギリス連邦首脳会議が開かれるようになった。
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ノートの参照
第15章2節 ウ.西欧諸国の停滞