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ホルティ

1919年、国民軍を組織しハンガリー革命を弾圧、権威主義体制といわれる独裁政治を行った。

 もとオーストリア=ハンガリー帝国の最後の海軍提督。マジャール人。第一次世界大戦直後の1919年、ハンガリー革命に対し、反革命の国民軍を組織、8月に共産主義政権を打倒した。1920年ハンガリー王国国民議会により摂政に任命される。同年6月トリアノン条約に調印してハンガリーの主権を回復するとともに、革命派を徹底して弾圧。一方、ハプスブルク家(カール4世)の復位に反対し、ホルティは国王不在(「国王のいない王国」)の摂政として国家元首となった。

権威主義体制

 ホルティは独裁的な権力を握り、共産党の活動を禁止したが、その他の政党は活動が認められ、議会政治が維持されていた。また、言論の自由も一応守られていたので、イタリアやドイツと同じようなファシズム(全体主義)国家とは言えない。そのような体制は、ポーランドのピウスツキと同じく権威主義体制とされる。ホルティはナチス=ドイツの思想に共鳴したわけではないが、第二次世界大戦ではドイツに接近し枢軸国となった。大戦末期、イタリア・ドイツの敗北を見越し、44年に連合国との単独講和を図ったが失敗し、権力を奪われ、戦後はポルトガルに亡命した。