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スロヴァキア

チェコスロヴァキアの東部を構成していたが、1993年にチェコと分離して一個の主権国家となった。

 第二次世界大戦後、チェコスロヴァキア社会主義共和国を構成していたが、1993年にチェコと分離独立した。面積約5万平方km。人口は約500万。首都はブラチスラヴァ。スロヴァキア人はチェック人と同じ西スラヴ人系の民族で、本来同一であったが、10世紀頃からマジャール人(ハンガリー)の支配を受けた地域の人々を、スロヴァキア人として区別するようになった。その後、長くハンガリーの支配を受け、第一次世界大戦後に初めて主権国家を建設したときにチェック人と合同してチェコスロヴァキア共和国(第一共和国)を建国した。
 ミュンヘン協定の結果として、ナチス=ドイツによってチェコスロヴァキア解体となったとき、形式的にはスロヴァキアとして独立したが、時事上ドイツの保護国であった。1940年11月には、ドイツに強要されて日独伊三国同盟に加入させられている。
 第二次世界大戦後の西スラヴ人で再びチェコとの単一国家を形成することとなった。しかし、スロヴァキアは山地が多く、平野が少ないことから農業生産は多くはなく、工業化も遅れたため人口もチェック人の半分ぐらいだったことから、チェコの優位が続いた。1968年のプラハの春ではスロヴァキア出身のドプチェクが進めた改革の中で、チェコとの対等な連邦制が打ち出されたが、チェコ事件が起こり、ソ連軍などの軍事介入によってつぶされた。
 1989年のチェコスロヴァキアの民主化が実現すると、スロヴァキア側の民族意識が強まり、分離独立を要求する声が高まった結果、1993年にチェコスロヴァキアの連邦解消が実行された。
 スロヴァキアはその後、2004年にはNATOに加盟EUに加盟を実現した。 → チェコ