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レジスタンス/抵抗運動

1940年5月の降伏から、44年8月の解放までの間、ナチス=ドイツの占領に対して戦われたフランス人の抵抗運動。国内では主として共産党が組織し、海外ではロンドンで「自由フランス」を組織したド=ゴールが主導した。これらの抵抗運動を総称してレジスタンスという。

 第二次世界大戦で、1940年5月にパリが開城してドイツ軍に占領されフランスは降伏、6月22日に休戦協定が成立して、大半がドイツの占領下に入り、自由地区に対独協力を義務づけられたヴィシー政府が成立した。ただちにフランス各地でドイツ軍とヴィシー政府に対する抵抗運動が始められた。当初は抵抗運動もバラバラであり、フランス人の親ナチ派による対独協力もあって抑えられていたが、次第に組織的に展開されるようになった。また国外に逃れた政治家や軍人、知識人たちも、イギリスのロンドンや植民地アルジェリアなどを拠点に国内に活発に抵抗を呼びかけるようになった。

国内のレジスタンス

 フランス国内での抵抗運動の組織化に努めたのはフランス共産党だった。フランス人民戦線に閣外から積極的に協力していた共産党であったが、人民戦線の崩壊後は低迷し、さらに独ソ不可侵条約の衝撃によって打撃を受けていた。1939年9月には解散命令が出され、地下に潜っていた共産党で会ったが、41年6月に独ソ戦が始まると、ドイツとの戦いの大義名分を得ることによって活動を活発に開始した。8月にはパリの地下鉄でドイツ軍将校を射殺するというテロを成功させたが、獄中の共産党員が処刑されるという報復を受けている。

ド=ゴールの自由フランス

 海外にあっては、休戦協定に反対してロンドンに亡命した軍人のド=ゴール自由フランス政府を樹立し、1940年6月18日にイギリスBBC放送を通じ、対独レジスタンスを呼びかけた。自由フランス政府の組織した軍は、はまずアフリカでドイツ軍と戦い、チャド、赤道アフリカ、カメルーンなどで勝利を収めた。
 ド=ゴールの活動は当初は連合国から認められていなかったが、ド=ゴールは国内の抵抗運動との連携に成功して43年5月、全国抵抗評議会(CNR)を組織、さらに抵抗運動と軍の統合するフランス国民解放委員会を6月に立ち上げてフランスの中央政府であることを宣言した。これには国内の政党とレジスタンス指導者が参加し、ド=ゴールをその代表とすることで合意した。44年6月2日には解放委員会は共和国臨時政府となり、ド=ゴールを首班としてフランスの再建が開始された。
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ノートの参照
第15章5節 イ.ヨーロッパの戦争
DVD案内

ロベール=ブレッソン監督
『抵抗―死刑囚は逃げた』1959
無名の俳優を起用し、レジスタンスで捕らえられた囚人の脱獄をリアルに描いている。