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ソ連の対日参戦

1945年8月8日、日ソ中立条約を破棄してソ満国境で一斉に侵攻。満州国、関東軍は壊滅した。9月3日まで戦闘が行われ、多数の日本将兵が捕虜としてシベリアに送られた。

 第二次世界大戦の最末期、1945年8月8日ソ連は対日宣戦布告を行い、翌9日、一斉に150万の軍が国境を越えて満州国に侵攻した。これはアメリカ・イギリスの要請を受けて合意したヤルタ協定に基づいての行動であった。日ソ間には日ソ中立条約(不可侵条約)があったが、4ヶ月前の4月5日に、ソ連側から条約期限延長拒否の通告があったものの、破棄通告は1年前とされていたので日本にとっては不意打ちを受けたこととなった。ソ連は日ソ中立条約を破棄したことによって、8月8日同日にポツダム宣言に署名し、対日戦後処理に連合国として参加する権利を得た。

満州国、関東軍の崩壊

 日本軍で満洲を守っていた関東軍はほとんど抵抗できず敗北、この前後のアメリカ軍による広島・長崎への原子爆弾の投下とともに、太平洋戦争・第二次世界大戦を終わらせることとなった。
 日本側は10万人の死傷者、20万が捕虜となり、シベリアに抑留された(この数字には不確定のもので今後訂正されることがあると思われる)。同じく、千島列島にもソ連軍は侵攻し、戦闘行為は8月15日以降も継続し、日本固有の領土であった歯舞・色丹・国後・択促の4島を占領した。9月3日までに満州・樺太・千島列島・北方4島全域を制圧した。 → 北方領土問題

NewS 9月3日、ロシアで対日戦勝利軍事パレード

 2020年9月3日、ロシア極東のサハリンの州都ユジノサハリンスクで、第二次世界大戦の終戦記念日を祝う軍事パレードが行われた。ロシアではこれまで記念日は9月2日(東京湾上で連合軍に対する降伏文書に日本代表が署名した日)だったが、今年4月、ソ連時代に「軍国主義日本に対する戦勝記念日」と定めていた3日に変更した。3日の記念日の復活はサハリン州や退役軍人の団体などが90年代から強く求めていたが、対日関係の悪化を避けるためこれまで見送られてきた。それが今年になって突然認められた背景には、プーチン政権が2014年のウクライナ危機を巡る国際的孤立や石油価格の下落による経済の停滞のため、支持率が過去最低水準に下がったことであり、政権の求心力を強めるために大戦の勝利を誇る国民の愛国心に訴える現状がある。6月には対ドイツ戦の戦勝75周年を祝う大規模な軍事パレードを全国で強行、憲法改正では「領土の割譲禁止」など愛国主義的な条項が多数盛り込まれた。今月2日にはロシア国防省が対日参戦に関する特設サイトを開設し、「極東を開放したソ連軍は、日本の侵略者が退却時に行った残虐行為の目撃者となった」などと強調している。<朝日新聞 2020/9/4>
 日本とソ連の間では9月3日までが戦争だった。8月14日の無条件降伏後も戦闘があり、その間ソ連兵が日本の民間人に対して多くの残虐行為を行い、捕虜にした日本兵をシベリアに抑留した事実も忘れることは出来ない。
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