人工衛星/スプートニク
1957年10月、ソ連が最初の人工衛星スプートニク号の打ち上げに成功し、アメリカに「スプートニク・ショック」といわれる衝撃を与えた。翌58年にはアメリカも打ち上げに成功、米ソの宇宙開発競争が始まった。
1957年10月4日、フルシチョフ政権下のソ連が世界最初の人工衛星(大気圏外を航行する飛行物体)スプートニク号の打ち上げに成功。後れをとったアメリカは威信を傷つけられ、スプートニク=ショックと言われる衝撃を受けた。ソ連は同1957年8月には大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験に成功しており、科学技術の急速な進捗が、アメリカに対する軍事的優位をもたらしていた。
翌1958年1月、アメリカは人工衛星(エクスプローラー)の打ち上げに成功、宇宙開発競争が始まった。アイゼンハウアー大統領は宇宙開発競争が軍産複合体をさらに増大させることを懸念し、58年に宇宙開発を軍事と切り離して行うため航空宇宙局(NASA)を設立した。
彼はアメリカの威信は宇宙開発で勝ち得るものではないとし、月面到着にも関心を示さなかったが、1960年の大統領選挙では民主党のケネディがミサイル開発でソ連に後れをとったのは共和党アイゼンハウアー政権の失政だとして攻撃して当選した。ケネディ大統領はソ連との競争に負けることは許されないとして、宇宙開発に力を入れた。
アメリカはまたもソ連に後れを取ったため、ケネディ政権はアポロ計画と名付け、宇宙開発を急いだ。ソ連がまだ成し遂げていないこととして目指したのが月面着陸であった。アメリカはようやく次のニクソン大統領の時、1969年7月20日、アポロ11号が人類最初の月面着陸を成功させた。
アポロ計画はその後、1972年12月までの間に12人の宇宙飛行士を月面に着陸させた。しかし、当時アメリカはベトナム戦争の長期化によって国力が低下し、国内ではニクソン政権の行き詰まりが見え始め、国際的にも緊張緩和が進んできた。ソ連も同時に中ソ対立と言う難題を抱え、次第に華々しい宇宙開発競争を続ける状況ではなくなっていった。
→ 核兵器開発競争
翌1958年1月、アメリカは人工衛星(エクスプローラー)の打ち上げに成功、宇宙開発競争が始まった。アイゼンハウアー大統領は宇宙開発競争が軍産複合体をさらに増大させることを懸念し、58年に宇宙開発を軍事と切り離して行うため航空宇宙局(NASA)を設立した。
彼はアメリカの威信は宇宙開発で勝ち得るものではないとし、月面到着にも関心を示さなかったが、1960年の大統領選挙では民主党のケネディがミサイル開発でソ連に後れをとったのは共和党アイゼンハウアー政権の失政だとして攻撃して当選した。ケネディ大統領はソ連との競争に負けることは許されないとして、宇宙開発に力を入れた。
スプートニク=ショック
(引用)1957年10月4日のソ連の人工衛星スプートニクⅠの打ち上げ成功は、二重の意味で西側諸国にショックを与えた。ひとつはソ連の科学技術の実力を過小評価していたというショック、もうひとつは、ソ連の科学技術に負けたという事実そのものによるショックである。96分12秒で地球を一周する83.6キログラムの人工衛星スプートニクⅠには「ピーッ」という音を発信できる二つのラジオが備えつけられており、この発信音がワシントンDCでもっとも大きく受信できるようになっていた。<猪木武徳『冷戦と経済繁栄』1999 中央公論社 世界の歴史29 p.24>
Episode 宇宙に初めて行った動物
(引用)そしてこの「スプートニク・ショック」も醒めやらぬ一ヶ月後、ソ連は今度はライカ犬を乗せた508キログラムのスプートニクⅡの打ち上げを実現する。もっともライカを生還させる技術が未開発であったため、ライカは宇宙で死ぬことになるが、動物が「打ち上げ」のショックに耐えうること、そして無重力状態でも生きられることを証明した実績は大きかった。<猪木武徳『冷戦と経済繁栄』1999 中央公論社 世界の歴史29 p.24>
宇宙開発競争
アメリアでケネディ大統領が就任した直後の1961年4月、ソ連は今度は有人宇宙飛行船ヴォストーク1号とを発射、ガガーリン少佐が人類初の宇宙での地球一周に成功した。「地球は青かった」というガガーリンの言葉は世界中に広がった。アメリカはまたもソ連に後れを取ったため、ケネディ政権はアポロ計画と名付け、宇宙開発を急いだ。ソ連がまだ成し遂げていないこととして目指したのが月面着陸であった。アメリカはようやく次のニクソン大統領の時、1969年7月20日、アポロ11号が人類最初の月面着陸を成功させた。
アポロ計画はその後、1972年12月までの間に12人の宇宙飛行士を月面に着陸させた。しかし、当時アメリカはベトナム戦争の長期化によって国力が低下し、国内ではニクソン政権の行き詰まりが見え始め、国際的にも緊張緩和が進んできた。ソ連も同時に中ソ対立と言う難題を抱え、次第に華々しい宇宙開発競争を続ける状況ではなくなっていった。
→ 核兵器開発競争