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核兵器開発競争

第二次世界大戦中のアメリカの核兵器開発に始まり、戦後、ソ連が核実権を行い、開発競争が始まる。さらに英仏中が核開発に着手した。

アメリカによる核開発と最初の使用

 第二次世界大戦中にアメリカはドイツから亡命したユダヤ系物理学者の力を借りてマンハッタン計画を進め、原子爆弾をヒトラー=ドイツに先駆けて成功させた。対ドイツ戦では間に合わず、対日戦を終結させるという目的で1945年8月、広島・長崎に投下した。しかし、すでにトルーマンアメリカ大統領の視野にあったのは、ソ連の原子爆弾製造に先だって実用化することだった。

核開発の広がり

 ポツダム会談でアメリカが新型爆弾実験に成功したことを知ったソ連のスターリンは、核開発を急がせ、1949年にソ連の原爆実験を成功させた。ここから米ソを初めとする核所有国の核開発競争が始まり、世界は核戦争の脅威にさらされることとなる。戦後のアメリカの核実験は1951年にネバダ核実験場を建設してから、集中的な核実験に着手した。また1952年には原爆よりも数段破壊力の大きい水素爆弾の実験に成功した。しかし、核兵器開発は米ソにとどまらず、1952年にイギリスが核実験をアメリカの技術援助のもとで成功させ、第三の核保有国となった。

核廃絶の動きと開発の広がり

 1954年のアメリカのビキニ環礁水爆実験では現地の漁民と日本のマグロ漁船第5福竜丸乗組員が被爆したことは世界に衝撃を与えた。核兵器廃絶運動が世界的に広がり、1955年のラッセル・アインシュタイン宣言は大きな反響を呼んだ。1961年には国連総会は核兵器使用禁止宣言を採択した。50年代後半からは米ソは平和共存路線を模索する一方で力の均衡を図って核開発を続けた。
 しかし、1960年2月、サハラ砂漠でドゴール政権のフランスが核実験を成功させて、第4番目の核保有国となり、さらに1964年に中国が核実験を行い第5番目となり、インドも1974年に核実験を成功させた。

核戦争の新たな危機

 1960年代からは原子爆弾、水素爆弾だけでなく、ミサイルに核弾頭を搭載することが可能となり、1962年のキューバ危機で核戦争勃発一歩前までいったため、米ソ両国はようやく核実験の抑制に踏み切り、1963年に部分的核実験停止条約を成立させた。これによって大気圏内外と水中の実験は禁止されたが、地下核実験はその後も可能であったので、核兵器開発競争は続くこととなった。しかし国民生活を犠牲にした核開発はやがて米ソともに財政負担を増大させ、中国でも大躍進期に核開発を強行したためにかえって大飢饉を誘発することとなり、無制限な核開発は不可能となってきた。

冷戦後の核拡散の危機

 1970年代は核兵器削減交渉が進展し、デタント(緊張緩和)の時代となった。この時期までは対立する米ソ二大国と、英仏に中国という安保理クラスの5大国が核を独占する体制をとっていたが、米ソの力の均衡という冷戦が終結した1990年代以降は、インド、パキスタン、イスラエル、イラン、北朝鮮などが堂々と核開発を主張し、核の地域的な使用が現実的になってきている。完全な核兵器の廃絶には至っていないのが現状である。