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第2次石油危機

1979年イラン革命政権が石油国有化に踏み切ったために起きた原油供給の危機。

 1979年のイラン革命の混乱によって、産油国イランの原油生産が激減したために起こった原油不足、価格上昇のこと。イランは当時、サウジアラビアに次ぐ世界2位の産油量があり、その利権はいわゆるメジャーズ(国際石油資本)に独占されていたが、78年から活発化したパフレヴィー国王の王政に反発する民衆蜂起により、79年1月に国王が亡命すると、その保護のもとにあったメジャーズは撤退を余儀なくされ、革命政権は石油国有化を実現させた。

イラン革命とホメイニ政権の戦略

 イラン革命によって成立したイラン=イスラーム共和国で実権を握るホメイニは、資源保護を目的に原油生産額を大幅に減らしたため、輸出は一時的に停止するまでになった。またOPECもイランに同調して増産に慎重な姿勢を取ったため、世界的な原油不足となり、1973年の第4次中東戦争の時の第1次石油危機(オイル=ショック)に次ぐ、第2次石油危機といわれることとなった。

世界経済の減速

 6月には第5回先進国首脳会議が東京で開催(東京サミット)され、アメリカ(カーター大統領)・日本(大平首相)・イギリス(サッチャー首相)・西ドイツ(シュミット首相)・フランス(ジスカールデスタン大統領)などの首脳は共同声明で産油国側を非難するとともに、石油輸入抑制とエネルギーの節約をよびかけたが、実際には足並みはそろわず、先進国経済は一層の低成長の時代に突入した。
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