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石油

19世紀後半から、重化学工業の原料・燃料として使用され、第2次産業革命のエネルギー源となった化石燃料。

 石油の存在は、紀元前から知られていたが、当初はアスファルトの材料、あるいは医薬品、わずかに灯油として使われているだけであった。1859年、アメリカ合衆国のペンシルヴェニアで油井が開発され、それに目をつけたロックフェラーが大量輸送方式を考案し、1870年にスタンダード石油会社を設立、燃料用石油の量産が始まった。アメリカ合衆国ではその後、オクラホマやテキサス、メキシコ湾岸(ガルフ)で油田が発見されていった。1870年代からはロシアのカスピ海沿岸バクー地方で石油の生産が始まり、フランスのロスチャイルド家がバクーから黒海までの鉄道を敷設してバクーの石油がヨーロッパ市場にもたらされるようになった。

第2次産業革命

 石油は、石炭と並ぶ新しいエネルギー源として急速に普及し、第2次産業革命を推進する原動力となった。19世紀末には、ドイツ人のディーゼルが石油を燃料とした内燃機関であるディーゼル機関を発明し、さらにダイムラーがガソリンを燃料としたガソリン機関を作成し、機関車や自動車の動力とされるようになった。
 産油地としては、19世紀末にはメキシコインドネシアで油田開発が進み、そして中東では、1900年にイランでのイギリス資本による生産が始まり、アメリカ油田の独占体制は崩れた。イギリス海軍は1912年、艦船の燃料を石炭から石油に転換させ、それに伴って石油資源の確保のための中東の重要性が急速に高まった。

第一次世界大戦

 さらに第一次世界大戦で石油の需要は急速に伸び、とくに1920年代のフォードによる自動車の普及大衆化によってさらに重要性を増す中で、1931年にペルシア湾のバーレーンで、33年にクウェートで、さらに1938年にサウジアラビア王国で大規模な油田が発見され、中東のペルシア湾岸油田地帯がにわかに世界の産油地帯の中心となった。

第二次世界大戦後のエネルギー革命

 第二次世界大戦後の1950年代にはエネルギーの中心が石炭から石油に移行し、第2次エネルギー革命が起こった。この間、世界の原油生産から製油までの石油関連産業は国際石油資本(メジャーズ)に支配される体制ができあがり、1970年代初めまで続いた。一方1951年にはイランモサデグ政権による石油国有化政策など産油国側の資源ナショナリズムが強まり、大きな争点となり始めた。

石油危機

 1960年には石油輸出国機構(OPEC)が結成され、さらに1973年の第4次中東戦争に際して、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)石油戦略を採用したため石油危機(第1次)となりさらに1979年のイラン革命による第2次石油危機とと続き、国際石油資本の支配力は急速に衰えた。現在までOPECによる石油価格のコントロールは続いているが、北海油田の発見など非OPEC諸国の産油量も増加し、最近では世界的な規制緩和の結果、投機マネーが石油市場に流れ込んで、原油価格が不安定になっている。

環境問題とエネルギー問題

 また、70年代から石炭・石油という化石燃料に依存した近代産業の発展の結果、大気汚染や地球温暖化などの環境悪化が表面化し、脱化石燃料が叫ばれるようになった。また、石油は有限の資源であり、数十年度には枯渇することが予測されており、代替エネルギーの開発が急がれている。<以上、瀬木耿太郎『石油を支配する者』 岩波新書 1988 などによる>
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第14章1節 ア.帝国主義