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サッチャー

1980年代の英首相(保守党)。イギリス経済を再建すると称し、民営化の推進、福祉政策の見直しなど、新自由主義政策を推進した。

サッチャー
Margaret Hilda Thatcher
1925~2013
 1979~90年、つまり80年代にイギリス首相を務めた女性の保守党政治家。イギリス史上初の女性党首であり、女性首相となった。戦後の労働党政権の下で採られた重要産業国有化社会保障制度を柱とした福祉国家政策によって財政難が続き、1960~70年代のイギリスが「イギリス病」に陥ったとして、その解消のため公共事業の削減と民営化を進め「小さい政府」を実現することを主張して79年の総選挙に勝ち首相となった。在任中は、強硬な手段で施策を実行し、フォークランド戦争に勝利したことから「鉄の女」というあだ名がついた。90年にメジャーを後継の首相として退任、2013年4月に死去した。

新自由主義

 彼女は、ケインズ的な公共投資によって雇用を創出し財政出動によるコントロールを重視する経済政策を社会主義計画経済であり、社会保障や福祉政策の拡充による「大きな政府」が経済の発展を阻害すると考え、できるだけ財政出費を抑え、資本主義本来の市場原理で自由競争を保障する必要があるという「新自由主義」(新古典派、または経済政策は財政によるより通貨の供給を通じて行うべきであるというマネタリズムの考え)の経済政策を採った。また、財政支出の中で大きな負担となっていた社会保障費の削減を強行した。

大英帝国への回帰

 まず、1970年代に国有化された四部門(鉄道、炭坑、発送電、鉄鋼)と電信電話、社会保険、医療、さらに教育の大部分と住宅の相当部分民営化(privatize)した。彼女は「ヴィクトリア女王の時代に帰れ」というスローガンを掲げ、大英帝国の栄光の復活を訴え、ヨーロッパ統合には批判的であった。80年のモスクワ・オリンピックでは前年のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してボイコットを呼びかけ、82年のアルゼンチンとのフォークランド戦争では精鋭部隊を南大西洋まで派遣して島々を奪回して「国益を守った」として大衆的な人気を回復した。

サッチャリズム

 このような「小さな政府」や「民営化」などをキーワードとした政策は「サッチャリズム」と言われ、それ以後の各国の保守政党の模範とされ、アメリカのレーガン大統領、日本の中曽根内閣などがそれを継承した。また21世初頭の日本で郵政民営化を進めた小泉内閣もその系譜上にある。<サッチャーについては、森嶋通夫『サッチャー時代のイギリス』1988 岩波新書などを参照>

Episode 「鉄の女」のもう一つのニックネーム

 サッチャーを「男勝り」と言う表現はジェンダー差別であり許されない。「鉄の女」というのは広く流布した彼女のニックネームだった。なお彼女にはもう一つニックネームがあって、それは「ティナ」(Tina)。これは、彼女が議会答弁で、いつも、There Is No Alternative.(選択の余地はない)と答えたからだそうだ。

曲がり角だった1979年

 イギリスでサッチャーが首相に就任した1979年は、記憶にとどめておくべき年となった。イギリスがケインズ流の社会民主主義から新自由主義に転換したことは、その後資本主義先進国で追随する動きが続出し、世界経済にも大きな影響を及ぼしていった。この年、世界では、1月のイラン革命からイスラーム圏の激動が始まり、中国では前年に始まった鄧小平の改革開放の動きはこの年に本格化し、中国で明確に資本主義経済の導入が始まった。一方ソ連では12月にアフガニスタン侵攻が強行され、それはソ連崩壊への引き金となったばかりでなく、イスラーム過激派が力を持ち始めるきっかけとなった。それらが10年後の冷戦の終結に収斂し、21世紀の地域紛争とテロの時代へとつながっていく。このように1979年を21世紀の始まりとみる見方も出されている。<クリスチャン=カリル/北川和子訳『すべては1979年から始まった』2015 草思社>

サッチャ-後のイギリス

 サッチャーは国内改革を強引に押し進め、フォークランド紛争でも戦争を辞さない決断を行って「鉄の女」というあだ名と共に人気が高まったが、その手法には根強い反対もあった。とくに、ドイツが統一によって戦前のような大国となることに懐疑的であったことから欧州統合の動きに対して反対し、国際的には孤立の傾向を強めていった。また経済を立て直したと評価されたものの、格差の拡大と共に社会不安が広がり、最後には財政不安を解消する手段として人頭税を打ち出したために、国民的な支持も失っていった。1990年、保守党党首を辞任し、首相の座も退いてサッチャー時代は終わった。政界を引退した後の2008年には記憶障害の症状が悪化し、2013年に脳卒中のため死去した。
 サッチャー後は保守党メジャー内閣が後継となったが、サッチャー時代の反動から脱新自由主義の動きが高まり、民営化の行き過ぎや社会福祉切り捨てへの批判が強まった。それをうけて1997年の総選挙では労働党が圧勝し、ブレア内閣が成立した。ブレアはサッチャー路線を全面的な否定はせず、第三の道を提唱し、イギリス経済の立て直しを図ることとなる。
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ノートの参照
第17章1節 イ.先進経済地域の統合化
書籍案内

森嶋通夫
『サッチャー時代のイギリス』
1988 岩波新書