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コスタリカ

中米の共和国。小国だが1948年以来、軍備放棄を定め、非武装に加えて永世中立を掲げて平和国家を維持している。

コスタリカ国旗 コスタリカ共和国国旗
 北をニカラグア、南をパナマにはさまれた、中米の小国。コスタリカ Costa Rica という国名は、1502年にコロンブスがこの地に到達したとき名付けたという“豊かな海岸”という意味の地名に由来する。首都はサンホセ、人口は現在約380万、つまり横浜市とほぼ同じ。国民の大部分はスペイン系の白人であるクリオーリョの子孫で、スペイン語を国語とし、ほとんどはカトリック信者である。

コスタリカの独立

 1502年のコロンブスの到来以来、スペインの実質的支配が続き、アンダルシア地方から入植が多かった。やがてグァテマラ総督領に編入され、推定40万の先住民は17世紀初頭までに約1万人に減少した。ラテンアメリカの独立の続いた1821年に一旦独立したが、翌年にメキシコに併合された。1823年には中央アメリカ連邦共和国(グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグァ、コスタリカの連邦)を結成したが、維持できず、1848年にコスタリカ共和国として分離独立した。  19世紀後半にはキューバやジャマイカからコーヒーが持ち込まれ、コスタリカの中央盆地がその栽培に適していたため、コーヒーがコスタリカ唯一の産業となり、豊かなコーヒ農園主が国の中核を構成するようになった。

軍隊の放棄

 1948年、大統領選挙で軍が干渉し、選挙で敗れた現職を強引に当選賭したことに対し、反政府勢力の左派を率いたホセ=フィゲレスが武装蜂起して内戦となった。約2000人の犠牲者を出して翌年、内戦に勝利したフィゲレスはニカラグァ軍の干渉も排除し、首都サンホセに入り、軍備放棄を宣言、翌1949年に憲法を改正して軍隊を廃止し、軍備を撤廃した。
 その後、1973年の世界的不況の中から、ラテンアメリカに次々と共産政権が成立し、1980年代には隣国でニカラグア革命が勃発、コスタリカにも波及する恐れがでたことから、軍隊を復活させる声も興ったが、実現せず、コスタリカは現在も平和憲法を掲げている。<吉岡逸夫『平和憲法を持つ三つの国―パナマ・コスタリカ・日本』2007 明石書店  p.138,190-199>

資料 コスタリカ憲法 第12条

「恒久制度としての軍隊は廃止する。公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する。大陸間協定により又は国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。いずれの場合も文民権力に常に従属し、単独は又は共同して、審議することも声明又は宣言を出すこともできない。」<前田朗『軍隊のない国―27の国々と人びと』2008 日本評論社 p.239 → パナマ  日本国憲法

コスタリカの非武装中立

 コスタリカが軍備を放棄した理由は、1948年に軍の不法から内戦が起こっただけでなく、それまでもしばしば軍が政治に介入した事への反省と、軍備維持の経済的負担なども挙げられる。また中南米諸国のリオ条約やボゴタ憲章などの地域的集団安全保障が成立したことも重要である。同時にコスタリカは反米ではなく、アメリカおよび中米機構とは良好な関係を維持している。コスタリカは準軍隊的な沿岸警備隊、特別警察などは所持しているが、原則は非武装であり、それに加えて1983年には永世中立を宣言している。<前田朗『同上書』 p.239
大統領のノーベル平和賞受賞 1979年のニカラグア革命ではコスタリカは革命を支援、ゲリラに基地を提供したりしたが、大統領オスカル=アリアス=サンチェスは、ゲリラ基地を撤去させ、その後も中米紛争の平和的解決に尽力した。このためアリアス大統領は、1987年、ノーベル平和賞を受賞、「積極的平和主義」が高く評価されている。<前田朗『同上書』 p.240
イラク戦争参加は憲法違反 非武装中立を掲げながら対米協調外交も維持しているコスタリカは、2003年のイラク戦争で苦境に立った。政府はアメリカを中心に組織された有志連合に加わったが、市民・弁護士協会などが憲法違反であるとして憲法裁判所に提訴した。2004年、憲法裁判所は7人の裁判官全員一致で政府の行為を憲法違反であり、永世・積極的・非武装中立宣言、国際人権規約に違反し、無効であるとの判決を下した。これによって有志連合のリストからコスタリカの名前が削除され、永世中立が再確認された。<前田朗『同上書』 p.241
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書籍案内

前田朗
『軍隊のない国家』
2008 日本評論社

吉岡逸夫
『平和憲法を持つ三つの国―パナマ・コスタリカ・日本』
2007 明石書店