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ソマリア内戦

アフリカの東北角地のソマリアで1991年が内戦が勃発し、国連PKOも介入に失敗、現在も続いている。

 1991年、ソマリアで独裁政治を続けていたハーレ大統領に反発した反政府勢力の統一ソマリア会議が出を制圧し、ハーレ大統領は追放された。しかし、反政府勢力内部も地域的、部族的な内紛を抱えており、これがソマリア内戦の始まりとなってしまった。同年6月には旧イギリス領の北ソマリアが分離独立を宣言、ソマリランド共和国を名乗った。首都モガディシュを制圧した反政府勢力も暫定大統領のモハメド将軍と、それを認めないアイディード将軍が対立、アイディード派によって暫定大統領は首都から追い出される事態となった。こうしてソマリアは三つ巴の内戦に突入した。

国連多国籍軍の派遣失敗

 1992年、国際連合はソマリア暫定政権のモハメド大統領の要請を受け、安保理がPKO(国連平和維持活動)を実行することを決定し、クリントン大統領はアメリカ軍を参加させた。アメリカ兵を主力とする多国籍軍がソマリアに派遣されると、アイディード派は硬化して国連部隊を攻撃し、パキスタン兵士多数が殺害されるという事態となった。アメリカ軍は首都のアイディード派の排除を試みたが、これも激しい抵抗を受け十数名の兵士が戦死、制圧は困難と判断して撤退、主力が撤退したため、多国籍軍は内乱を鎮定できずに撤退した。

内戦の深刻化

 その後、各派はさらに分裂抗争を重ね混迷の度合いを深めていった。1998年には停戦に向けての協議に入ったが、それもまとまらず、帰って地方政権が自立宣言を続け、統一はさらに困難になっている。2000年代に入って隣国ジブチやケニアの仲介で数回にわたり和平交渉が持たれ、暫定議会も発足したが、依然として各地域の部族勢力はそれぞれ独自国家の樹立を唱えており、まさに群雄割拠という状態が続いている。
 ソマリアの無政府状態が続いているため、ソマリア沖の紅海からインド洋にかけての海域では海賊が横行し、タンカーや商船が襲撃されるという被害が続いている。
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