多神教
古代オリエントなど、各地に見られる、複数あるいは多くの神々を信仰する宗教形態。仏教、ヒンドゥー教も該当する。それに対して、唯一神を信仰するのが一神教で、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教が同系列の一神教である。
メソポタミア文明のシュメール人と、アムル人やアッシリア人などセム系民族はそれぞれ、自然神崇拝、あるいは祖先崇拝から始まったと思われる多神教信仰を持っていた。シュメール人ははじめ、天空神アン(アヌ)、大気(風)の神エンリル、地の神を意味し知恵を司るエンキ(エア)など7神を持っていたが、灌漑農耕が広がった頃からイシュタル神という豊饒と戦争を司る地母神(女神)が神々の中心となった。これらのオリエントの神々は、ギリシアのオリンポス12神の中の女神アフロディテや、ローマのヴィーナスにつながる神である。また都市ごとに守護神を持っていた。ついでアムル人の建てたバビロンの守護神であったマルドゥク神が、バビロン第一王朝の成立とともにメソポタミアの最高神とされるようになった。 → 一神教
多神教から一神教へ
エジプトでは太陽神ラー(アメン=ラー)を中心とする多神教であった。多神教が支配的であったオリエント世界に一神教を初めてもたらしたのは、ヘブライ人のヤハウェ神信仰であった。またエジプトでも新王国のアメンホテプ4世はアトン神という唯一神への信仰を国民に強制したが、それは一神教革命としての宗教改革(アマルナ革命)とされている。しかし、エジプトでは一神教は定着せず、それ以前のアメン=ラー神を中心とする多神教に戻った。モーセに率いられたヘブライ人がエジプトから脱出したという『旧約聖書』の伝承(出エジブト)の背景に、一神教が認められなかったことがあるのではないかという見解もある。また一神教は、前15世紀ごろのオリエント世界の統一の動きという政治的な流れの中で、アルファベットという表音文字の普及とともに民族を越えた普遍的な世界観を生み出していくこととなったと考えられる。<本村凌二『多神教と一神教-古代地中海世界の宗教ドラマ-』2005 岩波新書>