ヒクソス
前18世紀中ごろ、エジプトに侵入したアジア系民族。エジプトに騎馬と戦車をもたらし、前1650年に第15王朝を建て、エジプト新王国によって前1542年にエジプトから追われるまでエジプトを支配した。
前18世紀中頃に古代エジプトに侵入し、前1650年にエジプト最初の異民族王朝である第15王朝を成立させ、そこから約1世紀間、エジプトを支配した。
ヒクソス支配がもたらしたもの ヒクソスのエジプト支配によって、エジプトはオリエント世界での孤立が終わり、広い西アジアの国際社会と関わりを持つこととなった。またヒクソスの軍事力、とくに騎馬と戦車の技術が持ち込まれた。戦車とは戦闘用の二輪馬車のことで、これ以後エジプトの各王朝でも採り入れられていく。それ以外にも複合弓、青銅製の刀、鎧などもあった。しかし、ヒクソスがもたらしたものは武器と軍事技術以外にはほとんどなく、信仰ではパレスティナの地方神であったバアルをエジプトの神セトと同一視して崇拝し、王名をみるとキアンとかアペピなどアジア風であるが、いずれもファラオを称し、遺品には王名をエジプト伝統のカルトゥーシュ(隅を丸めた枠)で囲まれている。<屋形禎亮『人類の起源と古代オリエント』世界の歴史1 1998 中央公論社 p.454>
「町の東の沼からカバを追い払うようにさせよ。それらが昼も夜も私の眠りを妨げるのだ。鳴き声が町の人々の耳を患わせるのだ」。
セケンエンラーには謎のような手紙の意味に気づいた。カバはアペピ王の支配を快く思っていないエジプト人を指しており、セケンエンラーに彼らを始末しろと言っているのだ。しかし同時にエジプトではカバは悪の象徴でもあり、カバを狩るとはこの世の秩序を保つ王の神聖な義務とされていた。もしセケンエンラーがカバ狩りを行えば、自分が正当な王だと宣言することになる。困ったセケンエンラーは名案がなく、家臣を集めて会議を開いたが・・・
これは後の第19王朝の時代の物語の断片で、結末は知られていない。ところが近年、テーベの近くの「王のミイラの隠し場所」からセケンエンラーのものと思われるミイラが発見された。彼は戦死したらしく、その頭部には致命傷となったと思われる傷が残っていた。その傷痕は明らかにエジプト製の武器ではなく、ヒクソスの都アヴァリスとされる遺跡から出土する青銅製の斧によるものだった。つまり、セケンエンラー王(ヒクソスから見れば地方の君主)はヒクソス王アピペの挑発に乗って戦いに踏み切ったが、戦死してしまったという、物語の後半を示していると考えられる。<屋形禎亮『同上書』 p.456 及び、大城道則『古代エジプト文明』講談社選書メチエ p.59-62>
民族移動の波
ヒクソスとは「異国(出身の)支配者たち」を意味するヘカウ・カスウトに由来する言葉で、前2000年紀の前半にヒッタイトやミタンニなどのインド=ヨーロッパ語族の民族移動が西アジアに及んだ頃、それに押される形でアジア系の民族がエジプトに侵入してきたのがヒクソスと思われる。彼らは武力に優れ、エジプトに騎馬と戦車を持ち込んだとされている。一時的に支配したが、その実態は判らないことが多い。中王国時代に傭兵としてシリアからつれてこられた人々であった可能性もある。ヒクソス支配がもたらしたもの ヒクソスのエジプト支配によって、エジプトはオリエント世界での孤立が終わり、広い西アジアの国際社会と関わりを持つこととなった。またヒクソスの軍事力、とくに騎馬と戦車の技術が持ち込まれた。戦車とは戦闘用の二輪馬車のことで、これ以後エジプトの各王朝でも採り入れられていく。それ以外にも複合弓、青銅製の刀、鎧などもあった。しかし、ヒクソスがもたらしたものは武器と軍事技術以外にはほとんどなく、信仰ではパレスティナの地方神であったバアルをエジプトの神セトと同一視して崇拝し、王名をみるとキアンとかアペピなどアジア風であるが、いずれもファラオを称し、遺品には王名をエジプト伝統のカルトゥーシュ(隅を丸めた枠)で囲まれている。<屋形禎亮『人類の起源と古代オリエント』世界の歴史1 1998 中央公論社 p.454>
ヒクソスから新王国へ
彼らはエジプト中王国が衰え、第2中間期という分裂期となった時期に、エジプトに侵入し、アヴァリス(現在のテル=エル=ダバア)に都を築き、シリア・パレスティナからエジプトにまたがる地域を支配した。ヒクソスはエジプト史上、最初の異民族支配による王朝であったが、エジプトの文化を採り入れ、王もファラオを称したので、エジプトの王朝として加えられ、第15王朝(ヒクソス王朝とも云う)、第16王朝といわれた。ナイル川中流にはテーベを都にしてエジプト人の第17王朝がすでにあったが、ヒクソスの宗主権を認めながら軍事技術を学び、前1570年ごろにはセケンエンラー2世はヒクソス王アピペと戦った。最初の戦いでは敗れたが、その子のアアフメス1世は前1552年に第18王朝を創始し(ここからをエジプト新王国とする)、ヒクソスとの戦いを再開、前1542年にヒクソスの都アヴァリスを占領し、国土再統一を達成した。ヒクソスはエジプトから追われ、パレスティナに逃れたが、3年後に最後の拠点シャルヘンも陥落し、滅亡した。<年代は屋形禎亮『同上書』 p.457 による>Episode カバの鳴き声から起こった戦争
ヒクソスの王アピペは、テーベの王セケンエンラーに次のような手紙を送った。「町の東の沼からカバを追い払うようにさせよ。それらが昼も夜も私の眠りを妨げるのだ。鳴き声が町の人々の耳を患わせるのだ」。
セケンエンラーには謎のような手紙の意味に気づいた。カバはアペピ王の支配を快く思っていないエジプト人を指しており、セケンエンラーに彼らを始末しろと言っているのだ。しかし同時にエジプトではカバは悪の象徴でもあり、カバを狩るとはこの世の秩序を保つ王の神聖な義務とされていた。もしセケンエンラーがカバ狩りを行えば、自分が正当な王だと宣言することになる。困ったセケンエンラーは名案がなく、家臣を集めて会議を開いたが・・・
これは後の第19王朝の時代の物語の断片で、結末は知られていない。ところが近年、テーベの近くの「王のミイラの隠し場所」からセケンエンラーのものと思われるミイラが発見された。彼は戦死したらしく、その頭部には致命傷となったと思われる傷が残っていた。その傷痕は明らかにエジプト製の武器ではなく、ヒクソスの都アヴァリスとされる遺跡から出土する青銅製の斧によるものだった。つまり、セケンエンラー王(ヒクソスから見れば地方の君主)はヒクソス王アピペの挑発に乗って戦いに踏み切ったが、戦死してしまったという、物語の後半を示していると考えられる。<屋形禎亮『同上書』 p.456 及び、大城道則『古代エジプト文明』講談社選書メチエ p.59-62>