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コーサラ国

前6世紀頃、ガンジス中流に成立した都市国家。マガダ国と対抗したが、前4世紀に滅ぼされた。都舎衛城にはブッダが教えを説いた祇園精舎があった。

舎衛城 GoogleMap

 前6世紀頃、ガンジス川流域に成立した都市国家の中で、最初に有力になった国。ガンジス川中流の北岸にあり、その東のマガダ国と対抗していた。コーサラ国の都はネパールに近いシュラーヴァスティー(舎衛城)であった。
祇園精舎 ブッダが浄土三部経などを説いたところとして有名な祇園精舎は都の郊外にあった。現在、その都城と祇園精舎跡は発掘され、遺跡として保存されている。祇園精舎には、5世紀初めに中国から法顕が訪れ、その著『仏国記』に、塔や美しい庭園があったことを記録しているが、7世紀前半にインドを旅行した玄奘が訪れた時は、すでに建物は壊され、礎石だけだったと記している。19世紀末にイギリス人考古学者カニンガムが、現在のサヘート・マヘートにその遺跡を発見して以来、発掘が進行し、その実測によると広さは2万坪に達するという。<三枝充悳『インド仏教思想史』2013 講談社学術文庫 p.37>

マガダ国に征服される

 コーサラ国は領土を拡大して当時の商工業の中心地であったベナレスを征服して強大となった。さらにシャーキヤ(シャカ)族など周辺の共和制都市国家も支配下にいれた。しかし、前4世紀に、東方のマガダ国によって征服され、衰えた。
アヨーディヤ問題 なお、古代インドの二大叙事詩の一つ、『ラーマーヤナ』の主人公であるラーマは、コーサラ国の王子とされている。ラーマ王子が都としたアヨーディヤヒンドゥー教の聖地とされている。しかしムガル帝国の時にイスラーム教のモスクが建てられ、その状態がながく続いたが、1980年代にインドのヒンドゥー至上主義運動が強まってモスクが破壊されるなど、インドの宗教対立の焦点の一つとなっている。
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