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マガダ国

前6世紀に有力となったガンジス流域の都市国家。仏教とジャイナ教を保護。前4世紀ごろナンダ朝が治めたが、前317年にチャンドラグプタが興したマウリヤ朝に代った。

 前6世紀頃、インドのガンジス川流域に成立した都市国家の中で、コーサラ国と並んで有力になったのが東インドのビハール南部のマガダ国であった。紀元前5世紀はじめにシャイシュナーガ王朝第5代のビンビサーラ王の時に強大となり、ガンジス川流域の平原を支配した。次の前4世紀前半のアジャータシャトル王(父のビンビサーラ王を殺して王位に就いたので悪逆無道の王とされるが)のとき、周辺の強国コーサラ国を制圧して、ベナレスなどを併合した。その次の代に都はガンジス川に面し交通の便のいいパータリプトラに建設された。またマガダ国はこのころ生まれた仏教ジャイナ教を保護した。

マガダ国の発展の背景

 その後、前4世紀中ごろマガダ国にはナンダ朝が起こり、強大な軍隊を持ち、貨幣を発行し、ビルマやセイロンとも交易を行った。マガダ国はシャイシュナーガ朝、ナンダ朝と続き、前4世紀末のマウリヤ朝に至ってほぼ全インドを統一する。マガダ国が繁栄した理由としては生産力の高い穀倉地帯であったことと、綿織物の産地で交通の要衝であるベナレスを抑えたこと、さらに巨大な軍事力・経済力を支えたものとして、マガダ国の地(現在のビハール州)が鉄・銅その他が豊かに産出したことが考えられる。<中村元『古代インド』 講談社学術文庫 p.157>

ペルシアの影響

 ガンジス川流域にマガダ国が成立した前6世紀には、西方のパンジャーブ地方はいくつかの小国に分かれて争っていたため、アケメネス朝ペルシアダレイオス1世が侵入し、インダス川以西の地にサトラップをおいて支配した。ペルシア帝国がパンジャーブ地方に進出し、長く支配したことで、インドはイラン文明の影響をけることとなった。

アレクサンドロスの東征

 マガダ国のナンダ朝が成立した前4世紀末、東征を開始したマケドニアのアレクサンドロスがインド侵入、前326年にインダス川流域まで達した。ナンダ朝は象部隊を駆使して抵抗し、アレクサンドルスの軍はインダスを越えることはできなかった。ナンダ朝の象軍を恐れたギリシアの兵士はそれ以上の進軍を拒み、アレクサンドロスもやむなく引き返すこととなった。しかしアレクサンドロス軍の侵攻は、ナンダ朝をも疲弊させることとなり、チャンドラグプタがナンダ朝を倒し、前317年ごろマウリヤ朝をたてるという変動が起こった。

ナンダ朝からマウリヤ朝へ

 アレクサンドロス軍のインド侵入を阻止したナンダ朝であったが、その戦いでナンダ朝は疲弊し、替わって登場したチャンドラグプタがm前317年ごろにマウリヤ朝を興した。このマウリヤ朝のもとでインドの大半が初めて統一されることとなる。