都市国家
文明形成期に出現する最初の国家の形態。前3000年紀のメソポタミアのけるシュメール人の都市が最初とされ、地中海世界のギリシア・ローマで特に発展したが、しだいに領域国家、古代帝国に組み込まれた。中世封建社会で姿を変えて再び登場する。中世ヨーロッパでは封建領主から自立し、自治権を認められた都市共和国が成立し、市民社会と市民文化を生み出した。
城壁に囲まれた中心都市が周辺に農地をもち、一個の独立した政治権力を形成している小国家を都市国家という。世界史上、前3000年紀のメソポタミア文明においてシュメール人がウルクやウルなどの都市をけいせいしたのが初めとされ、文字の使用・金属器の出現などとともに文明段階の重要な指標とされている。
潅漑農業の発達などに伴い、都市が周辺の農村を支配する都市国家を形成したと考えられるが、次第に地域的国家統合が進んで領域国家が形成される時期には、国家としての機能の多くを失っっていった。オリエントではアッシリアやペルシア帝国のような古代帝国が出現した、古代ギリシアでは市民の共和政による都市国家(ポリス)を発達させた。ギリシアのポリスにおいては市民権を持つもの(女性、奴隷は除く)の共同体としての都市国家が完成の域に達した。
地中海世界のローマもそのような都市国家として出発し、長く機能を維持しながらイタリア半島を統一し、さらに地中海世界を征服して世界帝国へと拡大していった。ローマ帝国となってからも市民権をローマ市民だけに認めていたが、212年にカラカラ帝が帝国内のすべての自由民にローマ市民権を与えたことで、ローマの都市国家としての性格は完全に消滅したと言える。このようにアジア・ヨーロッパでも専制君主の支配のもとで周辺諸民族を広域的に支配する世界帝国のもとでは、都市国家は消滅した。
中世封建社会の後半になると、商業の復活、経済力の高まりを背景に都市が復興し、しばしば王権から自治権を認められて、自治都市を形成した。近代以降は国民国家が形成されるとともに都市国家の形態は消滅したが、都市の自治の精神を継承している例も多い。また、現代においても都市が一個の国家を形成している例として、シンガポールがある。独立国家ではないが香港もそれに近い存在である。またヨーロッパには、モナコやサンマリノなど、都市が国家として存続している例がある。
オリエント文明圏 メソポタミア文明において、前3000年ごろに生まれたシュメール人のウルクなどが最も初期的な都市国家である。シュメール人は青銅器・楔形文字・法典の整備など、典型的な都市文明を形成した。一方のナイル川流域のエジプトではノモスという集落が形成されたが、メソポタミアと異なり典型的な都市国家には至らず、早い時期に古王国に統合された。
インダス文明圏 インダス文明では前2300年ごろにはじまるモヘンジョ=ダロやハラッパーなどに都市文明の形成が見られる。前1500年頃からアーリヤ人人がパンジャーブ地方に侵入し、さらに前1000年ごろからガンジス川に進出する。その過程で前6世紀頃、彼らの農耕社会は成熟し、生産力が向上して商工業が起こり、貨幣が普及した。そのようななかでインダス川流域からガンジス川流域にかけて、多くの都市国家が生まれた。前4世紀末にマウリヤ朝が統一するまで、十六大国と言われる諸国に分裂しておりその中の有力なものがガンジス中流のコーサラ国、下流にかけてのマガダ国であった。ブッダの出たシャカ族の国は部族共和政的な小国であったらしい。
中国文明圏 中国文明では前3300年ごろから、黄河中流域や長江下流域の農耕地帯に形成された農耕集落が次第に統合され、城郭を持つ都市国家である邑が形成された。さらに紀元前1550年ごろから黄河中流域の小都市国家を統合して、殷王朝の成立が成立した。殷は都市文明を背景としており、都市国家の連合政権である邑制国家とされているが、次の周王朝もそのその性格が強かった。殷・周(西周)の時代は、青銅器が使用され、城壁を持った都市が出現し、文字として甲骨文字が生まれるという、「文明」の指標がそろった時代である。
潅漑農業の発達などに伴い、都市が周辺の農村を支配する都市国家を形成したと考えられるが、次第に地域的国家統合が進んで領域国家が形成される時期には、国家としての機能の多くを失っっていった。オリエントではアッシリアやペルシア帝国のような古代帝国が出現した、古代ギリシアでは市民の共和政による都市国家(ポリス)を発達させた。ギリシアのポリスにおいては市民権を持つもの(女性、奴隷は除く)の共同体としての都市国家が完成の域に達した。
地中海世界のローマもそのような都市国家として出発し、長く機能を維持しながらイタリア半島を統一し、さらに地中海世界を征服して世界帝国へと拡大していった。ローマ帝国となってからも市民権をローマ市民だけに認めていたが、212年にカラカラ帝が帝国内のすべての自由民にローマ市民権を与えたことで、ローマの都市国家としての性格は完全に消滅したと言える。このようにアジア・ヨーロッパでも専制君主の支配のもとで周辺諸民族を広域的に支配する世界帝国のもとでは、都市国家は消滅した。
中世封建社会の後半になると、商業の復活、経済力の高まりを背景に都市が復興し、しばしば王権から自治権を認められて、自治都市を形成した。近代以降は国民国家が形成されるとともに都市国家の形態は消滅したが、都市の自治の精神を継承している例も多い。また、現代においても都市が一個の国家を形成している例として、シンガポールがある。独立国家ではないが香港もそれに近い存在である。またヨーロッパには、モナコやサンマリノなど、都市が国家として存続している例がある。
古代文明圏の都市国家
国家形成の大まかな段階として、都市国家段階 → 領域国家(王朝国家)段階 → 世界帝国の形成、という経過をたどっている。都市国家段階は文明の形成期でもあり、国家の祭祀用として青銅器が発達し、また王権の統治に必要な記録のために文字の使用が始まる。オリエント文明圏 メソポタミア文明において、前3000年ごろに生まれたシュメール人のウルクなどが最も初期的な都市国家である。シュメール人は青銅器・楔形文字・法典の整備など、典型的な都市文明を形成した。一方のナイル川流域のエジプトではノモスという集落が形成されたが、メソポタミアと異なり典型的な都市国家には至らず、早い時期に古王国に統合された。
インダス文明圏 インダス文明では前2300年ごろにはじまるモヘンジョ=ダロやハラッパーなどに都市文明の形成が見られる。前1500年頃からアーリヤ人人がパンジャーブ地方に侵入し、さらに前1000年ごろからガンジス川に進出する。その過程で前6世紀頃、彼らの農耕社会は成熟し、生産力が向上して商工業が起こり、貨幣が普及した。そのようななかでインダス川流域からガンジス川流域にかけて、多くの都市国家が生まれた。前4世紀末にマウリヤ朝が統一するまで、十六大国と言われる諸国に分裂しておりその中の有力なものがガンジス中流のコーサラ国、下流にかけてのマガダ国であった。ブッダの出たシャカ族の国は部族共和政的な小国であったらしい。
中国文明圏 中国文明では前3300年ごろから、黄河中流域や長江下流域の農耕地帯に形成された農耕集落が次第に統合され、城郭を持つ都市国家である邑が形成された。さらに紀元前1550年ごろから黄河中流域の小都市国家を統合して、殷王朝の成立が成立した。殷は都市文明を背景としており、都市国家の連合政権である邑制国家とされているが、次の周王朝もそのその性格が強かった。殷・周(西周)の時代は、青銅器が使用され、城壁を持った都市が出現し、文字として甲骨文字が生まれるという、「文明」の指標がそろった時代である。
都市国家から領域国家へ
西アジアのアッカド王国・バビロン王朝、中国の殷・周王朝、インドのマガダ国などは都市国家を統合した領域国家として形成されたが、なお都市国家の連合政権的な性格が強い。その後各地で国家統合はすすみ、西アジアではアッシリア帝国・アケメネス朝ペルシア、インドではマウリヤ朝、中国では秦王朝に至って世界帝国の段階に達する。この段階では鉄器が国家統合に大きな役割をはたし、また貨幣も普及する。ギリシア・ローマの都市国家
西アジア、中国、インドでは都市国家→領域国家→世界帝国というように国家の形態が移行したが、ギリシアではポリスといわれた都市国家が継続して発達し、その中で市民によるアテネ民主政が発展、独自の都市文明が繁栄した。ギリシア世界はアレクサンドロスの帝国、ついでローマ帝国という世界帝国に組み込まれる。一つの都市国家として出発したローマは、ローマ共和政のもとでイタリア半島を統一し、その後も都市国家としての機能を維持しながら、ローマ帝国に移行した。その前半の元首政の段階には形式的には都市共和政の伝統が存続したが、3世紀以降は専制君主政となって都市国家としての性格は消滅した。中世ヨーロッパの都市国家
中世ヨーロッパでは北イタリアやドイツに王権から独立した自治都市が形成され、それらを都市国家ということもあるが、普通は都市共和国(イタリアではコムーネ)と言って古代の都市国家とは区別する。