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ガンジス川

ヒンドスタン平野を東に流れるインドの大河。中流域の都市国家からマウリヤ朝、グプタ朝などが生まれ、ヒンドゥー教・仏教もこの地域で発展した。中流にマウリヤ朝の都パータリプトラ、ヒンドゥー教の聖地ベナレスなどがある。

都市国家から統一国家へ

ガンジス川流域
ガンジス川とヒンドゥスタン平原
Yahoo Mapに加筆
ヒマラヤ山脈を水源とし、インド北部のヒンドゥスタン平原を東に流れ、ベンガル湾に注ぐ大河。前1000年頃頃、アーリヤ人のガンジス川流域への移住が行われ、鉄器時代に入ると共に農耕社会が成立した。いわゆるカースト制度の身分制度もこの征服活動の経過の中で形成されたと考えられている。
 前6世紀頃にはガンジス川流域に多くの都市国家が成長した。それ以来インドの中心地域となって、有力な都市国家コーサラ国マガダ国が生まれた。
 その中のマガダ国に何代か王朝が交代するうちに、ナンダ朝に次いで現れたマウリヤ朝が前4世紀末に初めてインドを統一した。その後のグプタ朝、ヴァルダナ朝などもガンジス流域に興った。

ヒンドゥー教と仏教

 ガンジス流域には有力な政治勢力が生まれただけでなく、インドの民族宗教であるヒンドゥー教を育んだ。ガンジス川は古来、女神ガンガーのもたらした聖なる川とされ、現在も現地ではガンガーと言われて、中流のベナレスはヒンドゥー教最大の聖地で巡礼が集まり、多くの人が沐浴を行うことで知られている。
 また、ガンジス流域は、仏教の始祖ガウタマ=シッダールタ(仏陀)が生まれ、活動した地域であり、その関連遺跡も多数残っている。

聖都ベナレス

 ガンジス川中流左岸にあるベナレスはバラモン教とヒンドゥー教にとっての聖都であり、古代インド文明を象徴する都市である。正しくは古来のサンスクリットでバーラーナシーといわれ、今もその名で続いており、ベナレスというのはイギリス人の発音である。ベナレスにはガンジス川沿いに多数の寺院、祠堂、王者や富者の別荘が並び立っており、ヒンドゥー教徒は川岸の石の階段を降りて川水を浴する。ベナレスで有名なのは、このガンジス河の沐浴である。
ガンジス河での沐浴 インダス文明では大きな沐浴場の遺跡が見つかっており、古くから何らかの神聖な儀礼であったと思われるが、ヒンドゥー教の成立とともにガンジス河は「聖なる川」と意識されるようになり、ベナレスでの沐浴は、その功徳によって死後に天の世界に生まれることができると信じられるようになった。今もここでは毎日一万人の人々が沐浴し、祭礼の時には30万人もの人々が沐浴するという。「死ぬまでに一度はベナレスにお詣りしたい」というのがすべてのヒンドゥー教徒の願いである。民衆は川岸で、合掌して神々に祈り、顔を洗い、うがいをし、耳をすすぎ、体をこする。男は下半身に何かまとい、あるいは、ふんどしやさるまたをつけてとびこむ。婦人はサリーをまとったままとびこむ。また、岸辺で洗濯をしている婦人もある。水をすくっている人もいる。ガンジスの水は聖水とされているから、石階段の上の売店で小さな金属製の壺に入れて売られている。人々はそれを持ち帰って、末期の水として使うのである。<中村元『古代インド』初刊1977 講談社刊世界の歴史5 ガンジスの文明 2004 講談社学術文庫 p.87-91>

ベンガル地方の分割

 ガンジス川の下流の三角州一帯はベンガル地方の東部にあたる。イギリスは植民地支配の拠点としてカルカッタ(現在のコルカタ)を建設、東インド会社を通じての植民地支配を開始し、プラッシーの戦いでフランスと結んだ土豪の勢力を抑え、さらにこの地方のディーワーニー(徴税権・行政権を一体にした権限)を獲得、直接支配に乗り出した。イギリスはインドを支配するにあたり、ヒンドゥー教とイスラーム教の宗教対立を利用する分割統治を行ったが、その帰結がベンガル分割令であり、それに対する抵抗から、インドの民族主義運動が勃興することになる。しかし、本来インドとして一体であったここの地域は、1947年の独立にあたり、西部はヒンドゥー教が多かったことからインドに編入され、東部のガンジス下流域はイスラーム教徒が多かったことからイスラーム教国パキスタンの一部として独立、現在ではパキスタンから分離してバングラデシュとなっている。