仏像
仏教では偶像崇拝は否定されていたが、ヘレニズムの影響でガンダーラで仏像彫刻が始まったとされている。
仏像のない時代
竜王の礼仏
高田修『仏像の誕生』より
仏像彫刻の始まり
1世紀ごろ、クシャーナ時代になってカニシカ王の保護のもと仏教の中心地がガンダーラ地方に移ると、ヘレニズム彫刻の技法によって仏像を制作することが始まった。ガンダーラ美術に見られる初期の仏像はギリシア彫刻の技法によって造られている。仏像彫刻は、4世紀に成立したグプタ朝の時代には、ガンダーラ以来のヘレニズムの影響から脱して、インド独自のグプタ様式へと移行していく。5世紀後に栄えたグプタ様式はアジャンター石窟寺院に代表されるが、インド風の仏像彫刻の例としては、マトゥラー美術といわれる仏像が重要である。さらに8世紀ごろのデカン高原に造営されたエローラ石窟寺院には仏像だけでなくヒンドゥーきょうの神像も多くなる。参考 仏像の誕生に関する異説
仏像の誕生には、ガンダーラ説が一般的であるが、同じクシャーナ朝時代にガンダーラとは別に、ヘレニズムの影響下ではなく、インド独自に生まれたマトゥラー美術に求める考えもある。<高田修『仏像の誕生』岩波新書 1987>大乗仏教と仏像
(引用)大乗仏教とは、紀元後1世紀に起こった、形骸化した伝統仏教の立場に対し、釈迦の精神に帰れという仏教革新運動であるが、その際己れを大乗、だれでも乗せることのできる大きな乗物と称し、伝統仏教を小乗と呼んだ。そしてこの大乗仏教は、もっぱら釈迦の存在を超歴史化・超人格化し、それを人間と違った如来、仏とするばかりか、釈迦の持っているさまざまな性格をも、実体化して仏とし薬師、大日、阿弥陀などの多くの仏を生んでいったのである。そしてこれらの仏像に礼拝するということになったのである。ここに仏教は(中略)初めて宗教となったのであろうが、この倫理的な仏教から、宗教となった仏教への変化の中に、像の成立が大きな役割を担っているのは否定できない。今日、われわれが仏教というものを考えるとき、仏像を持った仏教を考えるわけであるが、その仏教は釈迦仏教から、だいぶ変化していたわけである。<梅原猛他『仏像 心とかたち』1965 NHKブックス p.37>