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半両銭

戦国時代の秦で鋳造された青銅製の貨幣。秦の始皇帝の統一により、中国最初の全土で流通する通貨となった。前漢でも継承され、武帝の五銖銭発行まで続いた。その円形方孔(形は円で四角い穴がある)の形式は後の中国の貨幣の基本形とされた。

半両銭

半両銭

 戦国時代には国ごとに異なる青銅貨幣を発行していたが、最も西方の黄河中流にあったでは、この半両銭が用いられていた。その鋳造開始年代は判っていないが、戦国時代の秦の遺跡からも出土しているので、現在では秦の始皇帝の時代よりも以前であったことが判ってきている。秦の始皇帝は他の通貨の発行を禁止し、中国最初の統一通貨とした。
最近の新しい説明 最近、発掘調査が進んだことなどから、中国古代貨幣についの説明はかなり変化している。用語集なども書き換えが行われているので、最新のものを見ておく必要がある。現在の説明は次のようになっている。<以下、柿沼陽平『中国古代の貨幣』2015 吉川弘文館 p.31-46 などによって構成>
  • 材質 半両銭は、かつては「銅銭」とされていたが、現在では、材質は青銅製(銅と錫の合金)であることが判っている。鋳造当初は赤みがかった金色に輝いていたと思われる。「半両」の二字は刻まれたものではなく、凸形に鋳込まれている。
  • はじまりの時期 かつては始皇帝が統一後に発行したとして、さまざまな統一事業の一つと説明されていたが、戦国時代の遺跡から半両銭が出土したことから、戦国末期の鋳造と改められるようになった。ところが近年、戦国中期とされる秦の墓から7枚の半両銭が出土し、それ以外にもその鋳型も出土していることから、戦国時代中期説が有力になっている。文献では『史記』恵文王二年条に「初めて銭を行した」という記事があり、「銭を行した」とは国家公認貨幣として流通させた意味であり、恵文王二年は前336年が通説となっている。史料では半両銭とは言われていないが、文献・考古学上の史料からは、現在は半両銭が初めて発行されたのは、始皇帝以後ではなく、戦国中期の前330年代とするのが正しい。<p.48-51>
  • 秦の始皇帝と半両銭 秦は始皇帝以前に、国家が貨幣を発行し、重量を替えても額面を変えず(それによって材料を外国に依存せず、鋳直した)、供給するという半両銭体制を作り上げていた。始皇帝が前221年に統一を成し遂げたとき、建前上は他の六国の通貨を禁止し、半両銭を帝国の通貨とすることができたが、実際には困難だったらしく、二世皇帝胡亥が即位した前210年に改めて「貨幣統一」を働きかけた(これが『史記』六国史年表始皇37年欄の「また銭を行した」の解釈)。<p.60>
  • 半両銭体制の意義 戦国時代の秦は半両銭を国家公認の通貨として発行・流通させる統一的青銅貨幣制度を作り上げることで経済的に自立できた。この半両銭体制は、国内の青銅原料をやりくりして流通量を調整できるシステムであった。その経済力を背景として、始皇帝は戦国の他の六国よりも優位に立ち、統一を達成できた。始皇帝の「貨幣統一」は半両銭体制を帝国の貨幣制度とし、「価値尺度の一元化を図り、銭の枚数の精算によって商品の価値をはかる制度」を整えようとした」のだった。しかし、秦はすぐに滅亡し、半両銭体制は、そのまま前漢帝国に継承されることになった。<p.55-57/60-62,>
半両銭の特徴ポイント
  • 「方孔円銭」であること。秦の人の天空は丸く(円形)、地は平らな四角形(方形)であるという宇宙観(天円地方)が反映している。しかし穴があること、それが四角であることには別な実用的な理由もあった(後述)。
  • 「半両」の意味。半両とは重量の単位である両の半分の意味で、1両は24銖にあたるので半両は12銖となる。本来の半両は約8グラムであるが、現在みつかっている半両銭はすべてが8グラムではなく、徐々に小型化し軽くなっている。漢王朝は実質12銖でなくとも半両銭として流通させよ、と法令で定めている。なぜ一両でなく半両としたのかについては諸説あるが、まだ明らかではない。漢も最初は半両銭を使用し、後の武帝時代に五銖銭を発行する。

Episode 円銭の穴はなぜ四角か。

銭のバリを取るため 戦国時代の円銭には丸穴も見られるが、多くは孔は四角である。また半両銭以後の、中国で鋳造される銅銭は、みな円銭で穴が四角、その形は日本の和同開珎以来の銅銭にも継承される。それでは、銅銭の中央の穴は何のために開いているのだろうか。またどうして四角なのだろうか。それは銅銭を鋳造するとき、銅を流し込んだ穴の部分に残るバリを削り取る必要があり、その際銅銭の孔が丸いと、回ってしまって作業にならないが、四角い棒に通し、両端を持って砥石にかければ、一気に作業するのが便利だったからである。そのような作業を必要としなくなった現在の日本のコイン、5円玉や50円玉(小型)は穴が丸くなった。
紐をとして持ち運ぶ孔 孔が四角であるのは前述の宇宙観にも依るが、バリ取りのためという実用的な意味があったのだが、孔そのものにも意味あった。それは孔に紐を通して持ち運ぶという理由である。中国古代の人びとは現在の我々のような財布を持ち歩くのではなく、銭の孔に紐を通し、数十から数百枚をまとめて持ち歩いた。このようにひとまとめにされた銭は、だいたい千銭ごとに「貫」といわれ、それは持ち運ぶときだけでなく、保管・貯蓄するときの単位でもあった。
 その点、古代ローマの貨幣は孔がなく、財布に入れて持ち歩いた。そしてローマの貨幣には皇帝の肖像が鋳込まれているので、貨幣を取り出す度に皇帝の顔を拝まなければならなかった。しかし、中国の民衆は銭を取り出す度に始皇帝の顔を拝まされなくともすんだわけだ。<柿沼陽平『同上書』p.46>