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スコータイ朝

タイ人がインドシナ半島のチャオプラヤ川流域にに建国した王朝。タイ人の最初の国家とされ、13世紀のラーマカムヘン王の時に全盛となる。

 13世紀後半~15世紀に、現在のタイに興隆した王国。もともとタイ人(シャム人ともいう)は、中国の四川地方や雲南地方に住んでいたが、11~13世紀にインドシナ半島に移住し、先住民と同化しながら定住したとされる。南下の理由はかつてはモンゴルに圧迫されたためと説明されていたが、現在では否定されている。
 スコータイ朝はチャオプラヤー川の支流のヨム河畔のスコータイを都とし、周辺の平野部を支配した。このあたりははじめクメール人の国であるカンボジア(真臘)のアンコール朝に従属していたが、ジャヤヴァルマン7世が死去してからアンコール朝は次第に衰え、そのころから雲南地方から南下してきたタイ人(中国史料の暹)が自立し、1240年頃(1257年ともされる)にこの地のスコータイを都としてスコータイ朝を起こした。
 13世紀の東南アジアは、モンゴル帝国)の征服活動が及び、元のベトナム遠征とともに、チャンパーやビルマのパガン朝、さらにジャワ島への遠征などが行われ、激動の時代だった。そのような変動に乗じる形で、チャオプラヤ流域にはタイ人が自立し、スコータイ朝を成立させた。

ラーマカムヘン王

 第3代のラーマカムヘーン王は、の1283年に、カンボジアの文字をもとに独自のタイ文字をつくった。また上座部仏教が保護され、スコータイをはじめ各地に仏教遺跡が多い。
 1350年にチャオプラヤ川下流、タイの南部のアユタヤにアユタヤ朝が起こると次第に衰退し、地方政権として存続するだけとなった。1438年にはアユタヤ朝に併合され、滅亡した。
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