泉州
中国の福建省東南部にある海港都市。宋、元代に繁栄した。マルコ=ポーロ、イブン=バトゥータも来訪した。ヨーロッパではザイトゥーンとして知られた。
資料 イブン=バットゥータの見た泉州
イブン=バットゥータはモロッコ生まれの大旅行家。1345年に泉州に上陸し、そこから大都を訪問している。その時の彼の見た泉州について、その旅行記『三大陸周遊記』は次のように記している。(引用)まず上陸したのはザイトゥーン(刺桐城、すなわち泉州)であった。・・・壮麗な町で、カムハー(錦紗)や、緞子を産するが、これらは町の名をとってザイトゥーニヤと呼ばれ、杭州やハンバリク(大都)製のものより優秀である。ザイトゥーンの港は世界でももっとも大きなものの一つ、いな、世界最大のものであろう。わたくしは約百隻の大型ジャンクを見た。小さなのに至っては数えきれるのもではなかった。大きな湾が海から陸地に入り、大河と合している。この町では、他のシナの町々と同じく、どの市民も庭や畑を持ち、その真中に家を建てていること、わが故郷のシジルマーサの町と同じで、このためにシナの都市は広々としている。イスラム教徒は離れた別の町に住んでいる。・・・これらの商人は、異教徒たちの国に住んでいるので、ムスリムがくると大喜びをし「イスラムの国から来たのだ」と口々にいって、自分の財産の一部を喜捨してくれる。・・・」<イブン=バットゥータ『三大陸周遊記』前島信次訳 角川文庫 p.288>
発見された泉州沈没船
中国福建州の泉州の港近くの海中で、宋時代後期のものと思われる沈没船が発見された。この船は残存している部分だけで長さが20以上もある、かなり大型の船で、積荷は香辛料、木材であったので東南アジア方面から泉州を目指した商船が、なんらかの事故で沈没してしまったらしい。船体は外板を3枚重ねる特殊な構造で、補強する隔壁も12ヶ所に設置され、木材は中国南部のものものなので、泉州かその付近、福建省で建造されたものと見られる。マルコ=ポーロは『世界の記述』(東方見聞録)で、中国の船はヨーロッパのどの船より大きく、古くなると船を補強するため外板を付け足し、最大で6枚まで重ねられたとあるが、研究者の多くはそれをマルコ=ポーロの作り話だろうと考えていた。最近は中国の水中考古学者が「外板6枚張りの大型沈没船を発見した」とも発表しており、マルコ=ポーロの記述もあながちうそとは言い切れなくなっている。<ランドール・ササキ『沈没船が教える世界史』2010 メディアファクトリー新書 p.149-152>