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泉州

中国の福建省東南部にある海港都市。宋、元代に繁栄した。マルコ=ポーロ、イブン=バトゥータも来訪した。ヨーロッパではザイトゥーンとして知られた。

唐代から繁栄が始まり、の時代にムスリム商人が来航して活動していた。宋(北宋)では市舶司が置かれ、南宋では広州に代わって貿易の中心地となった。南宋の末に元に寝返って功績を挙げた蒲寿庚は泉州で活動していたアラブ系の商人として有名である。13世紀にはマルコ=ポーロが来訪し、『世界の記述』に記録を残し、14世紀にはモロッコ生まれの大旅行家イブン=バトゥータが来訪して『三大陸周遊記』にその記事を残していることでも知られ、ヨーロッパではザイトゥーンといわれた。泉州は16世紀末に海賊の首魁鄭芝竜が登場したが、その後衰退し、現在では貿易港としての機能は失っている。

資料 イブン=バットゥータの見た泉州

 イブン=バットゥータはモロッコ生まれの大旅行家。1345年に泉州に上陸し、そこから大都を訪問している。その時の彼の見た泉州について、その旅行記『三大陸周遊記』は次のように記している。
(引用)まず上陸したのはザイトゥーン(刺桐城、すなわち泉州)であった。・・・壮麗な町で、カムハー(錦紗)や、緞子を産するが、これらは町の名をとってザイトゥーニヤと呼ばれ、杭州やハンバリク(大都)製のものより優秀である。ザイトゥーンの港は世界でももっとも大きなものの一つ、いな、世界最大のものであろう。わたくしは約百隻の大型ジャンクを見た。小さなのに至っては数えきれるのもではなかった。大きな湾が海から陸地に入り、大河と合している。この町では、他のシナの町々と同じく、どの市民も庭や畑を持ち、その真中に家を建てていること、わが故郷のシジルマーサの町と同じで、このためにシナの都市は広々としている。イスラム教徒は離れた別の町に住んでいる。・・・これらの商人は、異教徒たちの国に住んでいるので、ムスリムがくると大喜びをし「イスラムの国から来たのだ」と口々にいって、自分の財産の一部を喜捨してくれる。・・・」<イブン=バットゥータ『三大陸周遊記』前島信次訳 角川文庫 p.288>

発見された泉州沈没船

 中国福建州の泉州の港近くの海中で、宋時代後期のものと思われる沈没船が発見された。この船は残存している部分だけで長さが20以上もある、かなり大型の船で、積荷は香辛料、木材であったので東南アジア方面から泉州を目指した商船が、なんらかの事故で沈没してしまったらしい。船体は外板を3枚重ねる特殊な構造で、補強する隔壁も12ヶ所に設置され、木材は中国南部のものものなので、泉州かその付近、福建省で建造されたものと見られる。
 マルコ=ポーロは『世界の記述』(東方見聞録)で、中国の船はヨーロッパのどの船より大きく、古くなると船を補強するため外板を付け足し、最大で6枚まで重ねられたとあるが、研究者の多くはそれをマルコ=ポーロの作り話だろうと考えていた。最近は中国の水中考古学者が「外板6枚張りの大型沈没船を発見した」とも発表しており、マルコ=ポーロの記述もあながちうそとは言い切れなくなっている。<ランドール・ササキ『沈没船が教える世界史』2010 メディアファクトリー新書 p.149-152>