ブルグンド人/ブルグンド王国
5世紀にライン中流にゲルマン人の一派のブルグンド人が建てた国。現在のフランス東部とスイス西部にまたがる地域を支配した。534年にフランク王国によって滅ぼされた。その一部は後のブルゴーニュとなる。
オーデル川下流域にいたゲルマン人の一派での一派ブルグンド人が、ゲルマン人の大移動の中で、406年にライン川を超え、ガリア(後のフランス)に侵入、ライン川中流域から東ガリアにブルグンド王国を建設した。437年にフン人と戦って敗れ、国王グンテルを失った(この戦いを題材としたのが、中世ドイツの『ニーベルンゲンの歌 』である)。
しかし、フランク王国は534年にブルグンド王国を併合、フランク王国の一部となった。その後、ブルグンド王国のあった地域がブルゴーニュ地方と言われるようになり、有力なブルゴーニュ大公が治めることとなる。
フランク王国クローヴィスの征服
ブルグンド人は後にフランス東南部からスイスに及ぶ地域のサヴォイア地方に王国を再建した。しかし、5世紀末にガリア北方でフランク王国が次第に有力となり、481年に国王となったクローヴィスは周辺のローマの残存勢力、アラマン人、西ゴート王国を次々と破り版図を拡大、その勢力がブルグンド王国にも及び、500年にブルグンド王グンドバットはディジョンでクローヴィス軍に敗れた。クローヴィスはグンドバットを一定の貢物を条件に殺さず、その地の支配を認めた。しかし、フランク王国は534年にブルグンド王国を併合、フランク王国の一部となった。その後、ブルグンド王国のあった地域がブルゴーニュ地方と言われるようになり、有力なブルゴーニュ大公が治めることとなる。
Episode クローヴィスを改宗させた妻
クローヴィスに命を助けられたブルグンド王グンドバットにはキルペリックという兄弟がいた。しかし彼を剣で殺し「その妻の首に石を結びつけて水に沈めた」という。ギルペリックには二人の娘がいたが、その二人は追放され、修道女となった。姉の名はクロナ、妹の名はクロティルデであった。グンドバットがクローヴィスと戦う十年ほど前のことであった。あるとき、クローヴィスはクロティルデが優美で聡明であることを知り、彼女を妻に迎えることを求めた。グンドバットはやむなく承諾し、二人は結婚した。このクロティルデはキリスト教徒だったので、生まれた男の子に洗礼を施そうと夫を説得したが、耳を貸そうとしなかった。しかし、クローヴィスがアラマン人と戦いで多くの者が死に、全滅の危機を迎えたとき、大いに後悔し、天を仰いで妻の信仰する神に祈りを捧げたところ、不思議なことに戦況は一変し、アラマンの王を討ち取ることができた。その年、496年にクローヴィスはランスの司教聖レミギウスによって洗礼を受け、キリスト教に改宗したのだった。この話はトゥールノグレゴリウスの『歴史十巻』(『フランク史』ともいおう)に載っている。<山内進『北の十字軍』2011 講談社学術文庫 p.31-32> → クローヴィスの改宗