メルセン条約
ヴェルダン条約に続き、かつてのフランク王国を三分した中のロタール領(中部フランク)を870年に分割。ドイツ、フランス、イタリアの原型できる。
メルセン条約による三分割
A=西フランク(フランス) B=東フランク(ドイツ) C=中部フランク(イタリア) D=ローマ教皇領
a=アーヘン b=パリ c=ヴェルダン d=メルセン e=ラヴェンナ f=ローマ
フランク王国が分裂したことによって、北方からのノルマン人(いわゆるヴァイキング)の侵攻が激しくなってきたが、ロタール1世は弟たちと戦っていたため、ノルマン人の居住を認め、それを傭兵にした。このことがノルマン人の大陸への移住に拍車をかけた。
フランス・ドイツ・イタリアの原型
その後も3者の争いが続き、中部フランクのロタール1世が死ぬと、870年のメルセン条約で、ルートヴィヒとシャルルはその領土を二人で分割して、東フランク、西フランクに編入し、残ったところをイタリア王国とした。これによって、のちのドイツ・フランス・イタリアの三国の原型がつくられた。三国とも当初はカロリング家の王が続いたが、まず875年にイタリア王国でカロリング家が断絶し、10世紀には東西フランクでも断絶する。