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メルセン条約

ヴェルダン条約に続き、かつてのフランク王国を三分した中のロタール領(中部フランク)を870年に分割。ドイツ、フランス、イタリアの原型できる。

メルセン条約
メルセン条約による三分割

A=西フランク(フランス) B=東フランク(ドイツ) C=中部フランク(イタリア) D=ローマ教皇領
a=アーヘン b=パリ c=ヴェルダン d=メルセン e=ラヴェンナ f=ローマ

 フランク王国カロリング朝は、843年ヴェルダン条約ではルートヴィヒ(ルイ)1世の長男ロタールが皇帝位を継ぎ、中央部のロレーヌ地方からイタリア半島に及び、南北に長い領土を押さえ、弟のシャルルとルートヴィヒにはその東西が与えられ、西フランク東フランクとされた。このロタール領を中部フランク王国ということもある。
 フランク王国が分裂したことによって、北方からのノルマン人(いわゆるヴァイキング)の侵攻が激しくなってきたが、ロタール1世は弟たちと戦っていたため、ノルマン人の居住を認め、それを傭兵にした。このことがノルマン人の大陸への移住に拍車をかけた。

フランス・ドイツ・イタリアの原型

 その後も3者の争いが続き、中部フランクのロタール1世が死ぬと、870年のメルセン条約で、ルートヴィヒとシャルルはその領土を二人で分割して、東フランク西フランクに編入し、残ったところをイタリア王国とした。これによって、のちのドイツフランスイタリアの三国の原型がつくられた。三国とも当初はカロリング家の王が続いたが、まず875年にイタリア王国でカロリング家が断絶し、10世紀には東西フランクでも断絶する。
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