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ヴェルダン条約

843年、カロリング朝の王子三人がフランク王国の三分割を取り決めた協定。次のメルセン条約を経て、フランス・ドイツ・イタリアの三国の原型が出来る。

ヴェルダン条約
ヴェルダン条約による三分割

A=西フランク B=東フランク C=中部フランク D=ローマ教皇領
a=アーヘン b=パリ c=ヴェルダン d=メルセン e=ラヴェンナ f=ローマ

 フランク王国カロリング朝のカール大帝の子ルイ(敬虔王、ルートヴィヒ1世)が死ぬと、その子たちは分割相続を主張し、843年のこの条約(協定)によって、中部フランク(イタリアおよびロレーヌ)、東フランク西フランクに三分され、それぞれロタール1世、ルードヴィヒ、シャルル(禿頭王)が継承した。

ヨーロッパの形成

 これ以後、フランク王国ははふたたび統合することはなく、さらに870年メルセン条約で中部フランクが再分割され、ヨーロッパの中核となるドイツ・フランス・イタリアの三地域に分かれ、それぞれが独自の文化と国家を形成していくこととなる。
 ヴェルダンはフランス北部のベルギー国境に近いロレーヌ県に属し、1914年に第一次世界大戦の西部戦線でのヴェルダンの戦いがあったところ。
 現在進行しているヨーロッパの統合の試みは、ある意味ではフランク王国であった地域を核とした統合の復活であるとも言える。
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