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ヤゲウォ朝

14世紀に成立したリトアニア=ポーランド王国の王朝。東ヨーロッパで大国として繁栄した。

 ヤゲヴォ、またはヤギェヴォ、ヤゲローとも書く。ヤゲウォはリトアニア大公であったが、1386年ポーランド王国ピアスト朝の女王ヤドヴィカと結婚し、リトアニア=ポーランド王国を成立させた。それ以後その名はこの王朝の王朝名となる。都はクラクフ。ヤゲウォは1410年には西方からの脅威であったドイツ騎士団をタンネンベルクの戦いで破り、ポーランドの民族的な英雄でもある。
 この王朝は、1471~1526年にはボヘミア王国(ベーメン)、1490~1526年にはハンガリー王国の王位を兼ねており、その支配領域は東ヨーロッパでハプスブルク家や東のモスクワ公国を圧する広大さを持っていた。ヤゲウォ家がベーメンやハンガリーの王位を継承したのは、血縁関係を結んでいたことと同時に、それぞれの国内事情で、貴族たちが外国から王を迎える方が実権を維持できると考えた側面もある。  1526年にオスマン帝国とのモハーチの戦いでヤゲウォ家のボヘミア王兼ハンガリー王ラヨシュ2世(ルドウィク1世)が戦死したため、両国の王位はハプスブルク家に継承されることになる。
 ポーランドでは1572年にヤゲウォ朝の王位継承者が途絶えて断絶し、選挙王制となる。
注意 ポーランドは近代にロシア・プロイセン・オーストリアに分割されて国家を消滅させてしまう(ポーランド分割)ので、強国という印象が無く、ヤゲウォ朝とういのも日本ではなじみがないので頭に入りづらいが、世界史上でこのヤゲヴォ朝時代は、東ヨーロッパ最強の国家として繁栄した重要な王朝なので注意しておこう。
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