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エンコミエンダ制

16世紀のアメリカ新大陸などのスペイン殖民地での、キリスト教教化を条件に現地人労働力を実質的な奴隷として使役することを可能にした農園経営形態をいう。これによってインディオの人口が激減したため、17世紀にはアシェンダ制に移行していく。

 16世紀スペインのアメリカ新大陸におけるメキシコなどでとられた植民地経営の形態がエンコミエンダ制と言われる、巧妙な制度であった。スペインはコンキスタドール(征服者)やアメリカ新大陸に入植した植民者に対し、インディオに対するキリスト教の教化と保護を条件に、その統治を委任した(エンコメンダール)。委任された入植者は、ヨーロッパから持ち込んだ小麦や、アジア原産のサトウキビなどの農作物を栽培する農園や、銀山などの鉱山を開発し、インディオを労働力として使役する(形式的には租税を取る形をとった)ことが認められた。その労働は実質的な無給の強制労働に等しかった。なお、東南アジアにおけるフィリピン植民地でも同様の形態の植民地経営が行われた。

制度の始まり

 この制度は1503年末、スペイン国王が、インディオのキリスト教化の義務を負わせると同時に、労働力として一定数のインディオを使役する許可を公式に与えたことに始まる。しかし、金銀その他の財宝の獲得に狂奔するスペイン人入植者は、インディオの魂の救済にはほとんど関心を寄せず、結局エンコミエンダ制は奴隷制と変わらなくなってしまった。1540年代にポトシ銀山が開発されると、その経営もこのエンコミエンダ制によって行われた。
 エンコミエンダ制とは、寄託制と訳すことができ、もとは、イベリア半島の国土回復運動(レコンキスタ)の過程でできた制度で、キリスト教徒の騎士団がイスラーム教徒の土地を征服すると、個人に対し、異教徒から奪った土地を一時的に下賜する制度であった。エンコメンダールとはものを託する意味であり、託された人をエンコメンデロという。しかしアメリカ大陸で実施されたエンコミエンダ制は、性格が異なっている。1503年の勅令は次のように述べている。

資料 エンコミエンダ制勅令

(引用)本勅令を受領したその日より、インディオを強制して島のキリスト教徒と交わらしめ、彼らの家の建築、黄金その他の金属の採掘、同島の居住者たるキリスト教徒のための食料生産等の目的に働かしめよ。而して、インディオらが働いた日には、適切と思われる賃金、生活の資を給付すべきこと……。以上のことを、インディオは自由な民としておくのである。彼らは自由民であって奴隷ではない。したがって、彼らがよく扱われ、キリスト教化したものはしないものより優遇され、いかなる者も彼らにいささかの危害、圧迫も加えることを許さぬように監督すること。<増田義郎『新世界のユートピア』1971 中公文庫版 p.117>

インディオ人口の激減

 エンコミエンダ制の理念はインディオ保護であったが、実態は入植者がインディオを使役して富を築く隠れ蓑となった。インディオに対する過酷な使役は、その人口を激減させ、ラス=カサスなどドミニコ派の宣教師の反対などもあって次第に問題となってきた。スペイン王室は、このような植民者に委任する方式であるエンコミエンダ制を改め、直接経営に切り替えようとしたが、入植者の反発もあって成功しなかった。

近代世界システム

 ウォーラーステインの「近代世界システム」論では、「世界経済」の「周辺」における労働管理の形態とされる。

アシエンダ制への転換

 しかし、人口減少が進み、銀山の採掘量も減ってきた17世紀にはエンコミエンダ制は衰え、代わって入植者が大土地所有制のもとで農園を形成する形態(アシエンダ制)がひろがっていった。
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