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軍事革命

16世紀のイタリア戦争などを契機に、戦争において火砲が組織的に使用されるようになり、小銃を持った歩兵部隊が戦闘の前線となり、大砲がそれを援護するという戦術に変化した。の使用が一この戦術の変化に伴って、騎士としての封建領主は没落し、国家が軍隊を編制する形態に移行した。

 ルネサンスの三大発明の一つとされる火薬の発明と、それにともなう火砲の普及は、先ずヨーロッパで大きな戦術の変化をもたらし、さらに社会の変化につながっていった。その影響から起こった様々な変革を軍事革命という。
 特にイタリア戦争(15世紀末~16世紀前半)は、実戦に小銃と大砲という火砲(鉄砲)が大量に使われるようになった、「近代的」戦争の最初のものであった。それは、戦術として中世以来の騎士を中心とした戦闘を終わらせ、歩兵が小銃を持って集団を構成して進撃し、大砲がそれを援護する戦争形態を一般化させた。当初はそのような歩兵集団として各国の君主は傭兵(特にスイス傭兵が有名)に依存していたが、次第に徴兵制による国民軍を持つに至ったため、騎士として戦場で戦うことがつとめであった封建領主を完全に没落させることとなった。マキァヴェリの『君主論』は君主にとって有用な兵力として傭兵制に代わる国民軍の創設を主張している。この軍事革命によって、戦争の勝敗を決する戦術が、騎馬戦術から鉄砲で武装した歩兵の集団戦術に移行したことが主権国家の形成を促した一面である。

「近代的」陸軍の始まり イタリア戦争

(引用)後の歴史を知る眼からすれば、シャルル8世の軍隊を最初の「近代的」陸軍と書くことができる。なぜならば、それは、相互支援を行ない、しかも戦術的にいろいろな組合せをもって展開される三兵種――騎兵、歩兵、砲兵――から成っており、また、国庫から俸給が支払われる兵から大体できていたからである。歴史家は「近代ヨーロッパ史」の始まりを、いみじくも、1494年のフランス軍の侵入を端緒とするイタリア戦争に置くのが、通例である。<マイケル・ハワード/奥村房夫・大作訳『ヨーロッパ史における戦争』改訂版 2009 p.45>

Episode 織田信長の鉄砲隊は世界最初?

 小銃(鉄砲)が実戦に使われるようになったのは16世紀に入ってからであるが、この初期の小銃は「火縄銃」であるので、装填に時間がかかり、はじめはヨーロッパではこの限界を克服できないでいた。小銃の技術的限界を、戦術で克服する方法を世界で初めて発見したのが織田信長である。1575年の長篠の戦いで、火縄銃の斉射戦術を用いたかどうかは最近疑問視されているが、1560年代に信長が射手に隊列を組ませ列ごとに交互に斉射する方法は信長が考案した戦法と考えられている。ヨーロッパでこのような戦法がとられたのはそれより20年遅い1594年、オランダ独立戦争の時、連合軍の司令官マウリッツが最初だったという。また盛んに取り入れられたのは17世紀の三十年戦争からだという。そこでヨーロッパでは小銃の斉射戦術を「スウェーデン戦法」とよんだ。いずれにせよ、世界で最初の鉄砲戦術は日本で始まったと言えるが、その日本では戦国時代が終わって17世紀にはいると、長い「泰平の世」に入り、鉄砲を使わなくともいい社会になったといえる。<『世界の歴史』17 ヨーロッパ近世の開花 大久保桂子 1997 p.176->
 アフリカにおける鉄砲の使用の例は、1591年にモロッコサード朝マンスール王がサハラを南下し、ソンガイ王国の騎馬部隊を撃破したことがあげられる。