ユンカー
ドイツ人の東方植民以来、エルベ川以東に成長した地主層は、農場領主制を営み、封建的な農奴支配を維持して土地貴族(地主貴族)となった。プロイセンの絶対王政を支えドイツ帝国でも高級官僚や将校の地位を独占し、ナチス政権をも支えた。
ドイツのエルベ川以東の地域(プロイセン王国の領域)に存在した土地貴族(地主貴族とも言う)。プロイセン王国からドイツ帝国、さらにナチス時代までのドイツの支配階級となり、その絶対主義体制と帝国主義を支える基盤となった。
11~13世紀ごろのドイツ人の東方植民のなかで大領地をもつようになった領主が、16世紀以降の西ヨーロッパの商工業の発達に伴って増大した穀物需要に対応して、輸出用の穀物栽培を行うようになった。そのため領主(グーツヘル)は農奴の賦役を労働力として直営する農場を拡張した。そのような体制を農場領主制(グーツヘルシャフト)といい、農場を経営する領主を土地貴族(ユンカー)という。ユンカー階級は、土地所有とともに世襲的なさまざまな権利を持ち、ユンカー同士でしか結婚せず、閉鎖的な特権階級として存続し、プロイセンの君主ホーエンツォレルン家に忠誠を誓い、18世紀のプロイセン王国の絶対王政を支える階級として、上級官僚や軍人となった。
プロイセン王国はユンカーに支えられて強大化し、18世紀のフリードリヒ2世(大王)の時代にはオーストリア継承戦争・七年戦争などで領土を拡張し、ヨーロッパの強国にのし上がった。
11~13世紀ごろのドイツ人の東方植民のなかで大領地をもつようになった領主が、16世紀以降の西ヨーロッパの商工業の発達に伴って増大した穀物需要に対応して、輸出用の穀物栽培を行うようになった。そのため領主(グーツヘル)は農奴の賦役を労働力として直営する農場を拡張した。そのような体制を農場領主制(グーツヘルシャフト)といい、農場を経営する領主を土地貴族(ユンカー)という。ユンカー階級は、土地所有とともに世襲的なさまざまな権利を持ち、ユンカー同士でしか結婚せず、閉鎖的な特権階級として存続し、プロイセンの君主ホーエンツォレルン家に忠誠を誓い、18世紀のプロイセン王国の絶対王政を支える階級として、上級官僚や軍人となった。
プロイセン王国はユンカーに支えられて強大化し、18世紀のフリードリヒ2世(大王)の時代にはオーストリア継承戦争・七年戦争などで領土を拡張し、ヨーロッパの強国にのし上がった。
農奴解放とユンカーの転身
しかし、そのころイギリスでは産業革命が進展し、産業資本家が成長し新たな経済発展を見せ始め、フランスではブルボン朝絶対王政に対する批判が高まってフランス革命が勃発、一気に自由と平等の原理の上に国民国家が生まれようとしていた。ユンカーの農奴支配が強固に残っていたプロイセンは、これらの動きから明らかに遅れていた。その遅れはナポレオン戦争で、プロイセンのユンカー主導の古い軍隊がナポレオン軍に敗れたことによって強く意識されるようになり、1807年から近代化をめざすプロイセン国制改革が、シュタインとハルデンベルクの手によって進められ、農民解放も実施された。しかし、この改革は上からの改革に過ぎなかったため、農奴身分などは無くなったものの、農村に於ける実際のユンカーたちの権威は揺らいでおらず、むしろ彼らは没落した農民の土地を集積して、近代的な土地所有者として大農場経営や工場経営に乗り出していった。ビスマルク
こうしてユンカー層は、封建領主という性格から、資本家的な経営者へと転身することができ、1871年にドイツ帝国が成立してからも大きな経済力と政治勢力を持ち続け、国家権力の中枢にいた。ビスマルクがユンカー出身の典型的な政治家である。第一次世界大戦後はその勢力は減退したが、ヒトラーが登場すると保守勢力として復活し、ナチス政権を支えた。第二次大戦後は消滅したとされている。