プルードン
19世紀中ごろに活躍したフランスの社会主義思想家・実践家の一人。“所有とは盗みである”という言葉で知られる。マルクスと論争し、その独自の思想から無政府主義(アナーキズム)の祖といわれている。
プルードン Proudhon,Pierre Joseph 1808~65 はフランスの社会主義思想家・活動家であるが、カール=マルクスと同時代の人であり、マルクスの論敵であった。ルイ=ナポレオンによって危険な革命思想家として追放された人物。
プルードンは家が貧しかったため学校を中退した後、地元ブザンソンの印刷所に就職、仕事を通じて同郷の社会主義の先駆者であるフーリエを知り、影響を受けた。印刷所を経営したが失敗した後、奨学金を得てパリに出て勉学に専念し、1840年『所有とは何か』を発表し、”所有とは盗みである”という衝撃的な文言で評判となった。1846年には『貧困の哲学』を発表し、経済的な矛盾の中で生きるためには社会の成員が相互に共同する事が必要であるという「相互主義」を打ち出した。この著作はマルクスから強烈な批判を受けたことで有名になった(マルクス『哲学の貧困』)。
プルードンは二月革命が起きると国民議会議員に選出され、急進的な社会改革を主張したため、ナポレオン3世の第二帝政下で危険思想として有罪判決を受けて国外追放となり、1858年、ブリュッセルに亡命した。カール=マルクスとの論争を続けながら、社会改革の道筋を考究した。その中心思想は、私有財産を否定し、相互に扶助し合う社会を農民と労働者の連合によって実現し、国家権力を否定して地域分権による連合体を構想した。その思想は、その継承者たちによって無政府主義(アナーキズム)や労働組合主義(サンディカリズム)として特にフランスで高められていく。
“所有とは盗みである。”
クールベの描いたプルードン
プルードンは二月革命が起きると国民議会議員に選出され、急進的な社会改革を主張したため、ナポレオン3世の第二帝政下で危険思想として有罪判決を受けて国外追放となり、1858年、ブリュッセルに亡命した。カール=マルクスとの論争を続けながら、社会改革の道筋を考究した。その中心思想は、私有財産を否定し、相互に扶助し合う社会を農民と労働者の連合によって実現し、国家権力を否定して地域分権による連合体を構想した。その思想は、その継承者たちによって無政府主義(アナーキズム)や労働組合主義(サンディカリズム)として特にフランスで高められていく。
所有とは何か
(引用)もしも、次のような質問、奴隷制とは何かとい問いに答えなければならず、ただ一言でそれは殺人だと答えたとすれば、まずもって私の考えは理解されるだろう。人間から思考、意志、人格を奪いとる力は生死を左右する力であり、人間を奴隷にするのは人間を殺すことであることを証明するのに長談義は要しないであろう。ではこの別の問い、所有とは何かに対しても同様に、どうしてそれは盗みだと答えることはできないのか。この第二の命題は第一の命題の形を変えたものでしかないからには、けして理解されないわけではあるまい。(『所有とは何か』)<プルードン/河野健二編・阪上孝訳『プルードン・セレクション』2009 平凡社ライブラリー p.174>
19世紀半ばのフランス社会と思想
フランスの19世紀半ば(第二帝政の時期)の社会と思想について、『プルードン・セレクション』の訳者阪上孝氏の解説が参考になる。プルードンが活躍した19世紀半ば、フランスの産業革命のさなかにあり、大衆的貧困と失業を中心とする社会問題が深刻の度を増していた。その解決を目指す多数の言説が登場した。主なのには次のようなものがある。- 市場と競争を肯定する自由主義経済学を批判し、慈善や博愛を強調するキリスト教経済学
- 産業化の推進によって豊かな社会の実現を目指すサン=シモン主義
- 国家による市場競争の抑制と労働の組織化によって労働者の保護を図るルイ=ブラン
- 共和政政府による社会的平等の実現を求める社会的共和派や共有制と友愛=連帯を主張する共産主義
(引用)プルードンも社会問題の解決こそ現代社会の根本的課題だと考えた。しかし彼は、国家や政府による解決という多くの社会主義者の主張を「政府万能主義」と呼び、厳しく退けた。プルードンが人間の条件として何よりも重視したのは<自由>であり、国家による社会問題の解決は結局のところ国家権力の強化、自由の抑圧に行き着かざるをえないからである。また自由を重視する観点から、プルードンは市場や競争を否定しなかった。市場を存続させながら、市場の性格を変革すること、抽象的な表現になるけれども、流通の組織化によって、市場を利益追求の場から自発的な相互性の発現の場に変えることを構想するのである。……
……政府万能主義の主張に対して、プルードンが構想した社会革命は、信用と流通の組織化(人民銀行と生産者の協同組織の設立)によって所有者支配の体制を変革する経済革命と、政治的には中央集権国家を解体し、主権をもつ地域的集団の連合体に組み替えることであった。……簡単に言えば、社会を構成する産業や地域の諸集団に自律性を認め、全体社会をそれらの自発的連合によって形成することである。プルードン自身の言葉で言えば、経済面では「農―工連合」、政治面では「政治的連合または分権化」である。<プルードン/河野健二編・阪上孝訳『プルードン・セレクション』2009 平凡社ライブラリー p.310-311 阪上孝解説>
よみがえるプルードン
プルードンは著作にとどまらず、相互主義を実戦して「人民銀行」を設立して、貨幣にかわる「交換券」を発行し、自由主義の競争社会を克服しようとした。この思想は、市場原理主義が行き詰まっている21世紀の現在、バングラディシュで試みられているグラミン銀行など「貧者の銀行」の源流となる思想として注目されている。<本山美彦『金融権力-グローバル経済とリスク・ビジネス』2008 岩波新書 p.189-198>