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ジャクソニアン=デモクラシー/ジャクソン民主主義

アメリカ合衆国で19世紀前半のジャクソン大統領時代に民主主義が伸展したこと。西部の開拓農民などの精神に添った自立と平等を理念とし、「草の根民主主義」として定着した。その反面、非白人の黒人やインディアンの人権に対しては冷淡であるという側面があった。

 1829年3月4日アメリカ合衆国大統領に就任したジャクソンは、それまでの大統領のように東部の産業資本家、金融資本家などの富裕な層の出身ではなく、西部の貧しい家に生まれ、米英戦争や対インディアン戦争で軍人として知られるようになった人物であった。西部開拓を進める農民・産業革命で増加した労働者など大衆の利益を優先する政策をかかげて大統領に当選したので、当時はアメリカの民主主義が進展したと意識されて、ジャクソニアン=デモクラシーという言葉が生まれた。
 ジャクソンが登場するまでは、“デモクラシー”ということばは、無秩序や混乱を意味する言葉とされ、それを標榜することは過激派と捉えられてしまう状況であった。人々が、それまでの東部出身の政治家を権威的な旧勢力(エスタブリッシュメント)と感じ始める頃に登場したジャクソンが、民衆の支持を得て大統領となったことによって、デモクラシーという言葉が初めてプラスの要素に転じたと言うことができる。1828年には、ジャクソン支持者はジャクソンを大統領選で当選させるために運動して成功して翌年、ジャクソン政権が発足、そのもとで1832年5月、正式に政党民主党を名乗るようになった。
 一般に、ジャクソニアン=デモクラシーの時代は、ジャクソン大統領(在職1829~37)と次のヴァン=ビューレン大統領(在職1837~41)の19世紀30年代を言う。その政治を支えたのは、先負の開拓の民層と、東部に新たに登場し始めた労働者層であった。彼らの独立心、自立心、平等主義の基板はそれぞれのコミュニティーであり、この時代に「草の根民主主義」の伝統が出来上がったとされている。

開拓者精神と自立心

 ジャクソン民主主義の基盤はは西部開拓農民と東部労働者層にあり、精神は開拓者精神、平等主義と言うことが出来る。また、ジャクソン自身の生い立ちに見られるような、「自立心」が最も尊ばれる気風としてできあがった。簡単に言えば、その気風は現在のアメリカにおいても、「銃を持ち、それによって自分を守るのは自立した人間にとって当然のことである」という、銃社会肯定の歴史的風土を形成している。

ジャクソン民主主義の具体的内容

 最も重要な点は、白人男性普通選挙が合衆国の全州で認められたことであろう。白人男性に限られたことであったが、これによって西部の農民、東部の労働者にも選挙権が拡大され、民主主義が大きく前進したことは間違いない。そのほか、公立学校の拡充などがあげられる。また、アメリカ合衆国では、大統領選挙で政権が交代すると、連邦政府・州政府などあらゆる機関で、役人が交替する「スポイルズ=システム」が慣行となっているが、それが成立したのもこの時代である。
 フランスの思想家トックヴィルがアメリカを訪れ、『アメリカの民主主義』という大著を著し、その特質を独立自営、機会均等、自由競争などの価値観にあると指摘したのもこの時代であった。

民主主義の影の部分

 ジャクソン民主主義では、黒人奴隷制については問題視されておらず、南部における黒人奴隷の境遇は依然として過酷なものがあった。しかし、西部開拓が進んで新しい州が建設されるようになると、奴隷州とするかどうかが大きな問題となり始める。
 ジャクソン大統領の1830年にはインディアン強制移住法が制定され、先住民インディアンは強制的、合法的に保留地に移住させられた。特にチェロキー族のオクラホマへの移住は「涙の旅路」と言われ、多くの犠牲者が出た。アメリカの西部発展はインディアンを排除し、抑圧して進められた。
 白人男子普通選挙法が全国に拡張されたのがこの時代であったが、女性参政権はまだ認められなかった。しかし、ジャクソン民主主義の風潮は、女性参政権運動への導火線となった。
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