スポイルズ=システム
19世紀前半、アメリカ合衆国のジャクソン大統領の時に始まる公務員の任用制度で猟官制度ともいう。政党政治とともに慣行となったが政治腐敗の原因となったので1883年にあらためられた。
アメリカ合衆国の大統領が、大統領選挙で勝った党派の者に連邦政府の官職をあたえる制度で、「猟官制度」とも訳される。19世紀初頭のジャクソン大統領の時に始まる、アメリカ独自のシステムで、これによって公務員の交替を促し、政党政治が徹底する利点を持っている。官僚による実質的な政治支配を防ぐ点では一定の効果はあるが、ポストの任命をめぐって賄賂の横行やトラブルの発生などの問題点も多く、1881年のガーフィールド大統領暗殺事件を契機に、1883年に資格任用制(官吏試験制度)への転換が図られた。しかし、アメリカでは現在も大統領による官吏任用に大きな権限が与えられている。
さて、ギトーの犯行動機は何だったか。ギトーは弁護士の資格を持つ小男で「シカゴの雄弁弁護士」と自称し、前年秋の大統領選挙の時、共和党候補ガーフィールドを熱心に応援し、演説草稿を自費出版したり、マンハッタンなどで応援演説をしていた。選挙ではガーフィールドが民主党候補ハンコックを僅差で破り、当選した。猟官があたりまえだった国で、ギトーは当然、戦利品にありつけると思った。彼の望んだ戦利品は「パリ総領事」の椅子だ。ガーフィールド周辺では戦利品の分配をめぐって他でも争いが起こっていたが、そこでポストを得られずに敗れたひとりがギトーだった。
リンカンの暗殺からまだ16年しか経っていなかった。今度は個人的な恨みから大統領が銃撃されたことでアメリカに大きな衝撃を与えられた。現役の新大統領が簡単に暗殺されたことは衝撃だったに違いない。ニューヨークの新聞社前の巨大な掲示板には大統領の状況を刻一刻と掲げられ、一般市民に伝えられた。ラジオとテレビのない時代、電話と印刷機が情報拡散の手段だった。
この暗殺事件は、猟官制度(スポイルズ=システム)がもたらした腐敗にあることは明らかだったので、これを契機に官吏登用制度の改革の必要性が唱えられ、1883年のペンドルトン法による公務員試験の導入による官吏登用への道が開かれることになった。<高崎通浩『歴代アメリカ大統領総覧』2002 中公新書ラクレ p.123-125>
ロビィストの出現 公務員試験による官吏任用制度は資格任用性(メリット=システム)というが、当初はそれが適用されるのは全連邦官吏の12%に過ぎなかった。スポイルズ=システムからメリット=システムへの転換は徐々に進められ、ようやく1930年代のニューディールの時期にアメリカにおける官僚制度が確立する。その結果、政治的な要求を実現しようと思う実業家は、大統領に協力して官吏の地位を得ることができなくなったので、議会で議員に働きかけるロビー活動を行うようになり、次第に熱心に議員説得活動を行う人をロビィストと言うようになる。
現在も強い、大統領の人事権 このペンドルトン法で合衆国の公務員は試験によって選抜される能力主義に改められ、大統領が任命できる範囲は縮小されたが、それでも諸外国に比べ、アメリカ大統領の人事権には強大なものが残っている。アメリカ大統領は最高裁判所の判事と閣僚を含め約3000のポストの人事権を持ち、その主要ポストは議会の承認を必要とするが、それ以外の大統領が直接選任するポストには選挙で協力した人物などに割り振られている。これがアメリカ大統領の強大な権力の源泉となっており、国家試験で選抜された官僚の地位が原則として保証されている日本の官僚制度と大きな違いである。現在も大統領が交替したとき、政府の上級役職を大統領が属する政党またはその支持者から任命されるという慣例は現在も続いており、ホワイトハウスだけでなく、国務省、国防相などの行政府ではポストの総入れ替えが行われる。
感想 日本の官僚制度と政党政治 いわばアメリカでは官僚政治ではなく「政治家主導の政治」が行われている。大統領制ではない日本では長く官僚主導の政治が行われてきたが、21世紀に入り、いわゆる小泉改革あたりから「政治主導」が目指されるようになった。すると官僚の目は政治権力に向けられるようになり、そこに「忖度」という風潮が生まれてくる。
もっとも日本でも戦前の二大政党時代、「政友会」と「憲政会」が競った時期には、政権が変われば官僚ポストも総入れ替えになっていたという。それが一定の政治的緊張を生み出していたが、一面で財閥と結んで腐敗するとともに政争に明け暮れたことから国民が政党政治に期待しなくなり、そのすきに「軍」が政治に大きく関わってくることとなった。21世紀の日本国民としては政党政治を厳しく監視するとともに、今意味のある政治システムとして、官僚をコントロールするというその健全な役割に期待したい。<2022/9/28記>
Episode 恨みによるアメリカ大統領銃撃
第20代大統領ガーフィールド(共和党)は、就任間もない1881年7月2日、銃撃された。国務大臣と一緒に短い休暇に出かけるためにワシントン駅に出かけ、待合室のベンチの後ろにいたC.J.ギトーという男に撃たれたのだ。大統領から数メートル離れたところから44口径のピストルを発射、一発目は頭を狙ったのか、帽子を吹き飛ばしただけだったが、二発目が命中して大統領は倒れた。ギトーはその場で捕らえられ、ニュースは新聞の速報で全国に伝えられた。大統領は二ヶ月半、視線をさまよい、9月29日に死んだ。さて、ギトーの犯行動機は何だったか。ギトーは弁護士の資格を持つ小男で「シカゴの雄弁弁護士」と自称し、前年秋の大統領選挙の時、共和党候補ガーフィールドを熱心に応援し、演説草稿を自費出版したり、マンハッタンなどで応援演説をしていた。選挙ではガーフィールドが民主党候補ハンコックを僅差で破り、当選した。猟官があたりまえだった国で、ギトーは当然、戦利品にありつけると思った。彼の望んだ戦利品は「パリ総領事」の椅子だ。ガーフィールド周辺では戦利品の分配をめぐって他でも争いが起こっていたが、そこでポストを得られずに敗れたひとりがギトーだった。
リンカンの暗殺からまだ16年しか経っていなかった。今度は個人的な恨みから大統領が銃撃されたことでアメリカに大きな衝撃を与えられた。現役の新大統領が簡単に暗殺されたことは衝撃だったに違いない。ニューヨークの新聞社前の巨大な掲示板には大統領の状況を刻一刻と掲げられ、一般市民に伝えられた。ラジオとテレビのない時代、電話と印刷機が情報拡散の手段だった。
この暗殺事件は、猟官制度(スポイルズ=システム)がもたらした腐敗にあることは明らかだったので、これを契機に官吏登用制度の改革の必要性が唱えられ、1883年のペンドルトン法による公務員試験の導入による官吏登用への道が開かれることになった。<高崎通浩『歴代アメリカ大統領総覧』2002 中公新書ラクレ p.123-125>
1883年に資格任用制へ
ジャクソン大統領時代に始まったスポイルズ=システムは、政党主導の論功行賞型の官吏任用制度として政党政治の定着とともに慣行となったが、行き過ぎると弊害が現れ、1881年第20代大統領ガーフィールドが就任後わずか4ヶ月で、猟官運動に失敗した人物の恨みを買って暗殺されるという事件が起き、1883年にペンドルトン法と呼ばれる連邦文官任用制度が制定されて、スポイルズ=システムを一定の官職にとどめ、基本は試験による公務員の採用という能力主義の原則がとられることとなった。ペンドルトン法は、資格試験によって官吏を任用することを定めただけでなく、官吏の政治献金を禁止するなど、近代的な公務員法であった。ロビィストの出現 公務員試験による官吏任用制度は資格任用性(メリット=システム)というが、当初はそれが適用されるのは全連邦官吏の12%に過ぎなかった。スポイルズ=システムからメリット=システムへの転換は徐々に進められ、ようやく1930年代のニューディールの時期にアメリカにおける官僚制度が確立する。その結果、政治的な要求を実現しようと思う実業家は、大統領に協力して官吏の地位を得ることができなくなったので、議会で議員に働きかけるロビー活動を行うようになり、次第に熱心に議員説得活動を行う人をロビィストと言うようになる。
現在も強い、大統領の人事権 このペンドルトン法で合衆国の公務員は試験によって選抜される能力主義に改められ、大統領が任命できる範囲は縮小されたが、それでも諸外国に比べ、アメリカ大統領の人事権には強大なものが残っている。アメリカ大統領は最高裁判所の判事と閣僚を含め約3000のポストの人事権を持ち、その主要ポストは議会の承認を必要とするが、それ以外の大統領が直接選任するポストには選挙で協力した人物などに割り振られている。これがアメリカ大統領の強大な権力の源泉となっており、国家試験で選抜された官僚の地位が原則として保証されている日本の官僚制度と大きな違いである。現在も大統領が交替したとき、政府の上級役職を大統領が属する政党またはその支持者から任命されるという慣例は現在も続いており、ホワイトハウスだけでなく、国務省、国防相などの行政府ではポストの総入れ替えが行われる。
感想 日本の官僚制度と政党政治 いわばアメリカでは官僚政治ではなく「政治家主導の政治」が行われている。大統領制ではない日本では長く官僚主導の政治が行われてきたが、21世紀に入り、いわゆる小泉改革あたりから「政治主導」が目指されるようになった。すると官僚の目は政治権力に向けられるようになり、そこに「忖度」という風潮が生まれてくる。
もっとも日本でも戦前の二大政党時代、「政友会」と「憲政会」が競った時期には、政権が変われば官僚ポストも総入れ替えになっていたという。それが一定の政治的緊張を生み出していたが、一面で財閥と結んで腐敗するとともに政争に明け暮れたことから国民が政党政治に期待しなくなり、そのすきに「軍」が政治に大きく関わってくることとなった。21世紀の日本国民としては政党政治を厳しく監視するとともに、今意味のある政治システムとして、官僚をコントロールするというその健全な役割に期待したい。<2022/9/28記>