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ドレッド=スコット判決

1857年、アメリカ合衆国の連邦最高裁判所がミズーリ協定を憲法違反とし、自由州での奴隷所有を認めた判決。カンザス・ネブラスカ法とともに奴隷制拡大派の民主党の主張に沿ったものであったので、奴隷制度に反対する勢力が反発し、共和党に結集、南北戦争への引き金となった。

ドレッド=スコット
Dred Scott
今津晃『アメリカ大陸の明暗』p.298
 アメリカ合衆国における黒人奴隷制をめぐる賛成派と反対派の激しい論争となり、南北戦争への引き金の一つとなった裁判の判決であった。
 ドレッド=スコットとは黒人奴隷の名で、彼は所有者に連れられて自由州であるイリノイや、ミズーリ協定で奴隷制が禁止されたミネソタ准州に住んだことがあることから、自由の身となったとして、裁判に訴えた。最高裁判所まで持ち込まれ、1857年に最高裁の判決が出されたが、それは次の三つの理由により、却下されるというものであった。
  1. 黒人は合衆国の市民となることはできない。したがって、彼は連邦裁判所に訴訟を起こす権利がない。
  2. 彼はミズーリ州(奴隷州)の居住者であり、いかなるイリノイ州(自由州)の法律の適用も受けない。
  3. 彼が北緯36度30分以北の地に住んだとしても、自由になることはできない。なんとなれば、連邦議会は合衆国の準州に奴隷制を禁止する権限を持たないからである。
 この判決は、アメリカ合衆国憲法はもともと黒人を市民と認めていないから黒人には提訴権がないし、ミズーリ協定は奴隷所有者の財産権を侵害するもので憲法違反であるとして、スコットの訴えを全面的に否定して自由を認めなかった。つまり、黒人は人間ではなく財産に過ぎないというのが最高裁の判決であった。

背景と影響

 これは、当時、黒人奴隷制拡大を強く望んでいた南部プランター(大農園主)などの支援を受けた民主党のピアースとブキャナン大統領のもとでカンザス・ネブラスカ法が成立してミズーリ協定が否定されたことと軌を一にしており、黒人奴隷制拡大に反対していた人々は、共和党を結成した。リンカンは奴隷制の自然な消滅を期待していたが、この動きを見て危機感を抱き、共和党に加わった。
 一方の民主党も、南部の主流派に対して北部では奴隷制拡大に反対する党員もいたので、南部主導の奴隷制拡大路線に反発して共和党に合流するものもあらわれ、結果的に弱体化した。<本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』岩波新書など>
 奴隷制拡大に対する批判が強まり、1859年には白人の急進的な奴隷制即時廃止論者が黒人奴隷とともに反乱を起こすというジョン=ブラウンの蜂起が起こった。翌1860年の大統領選挙では共和党のリンカンが当選、それに対して南部諸州は危機感を強めて合衆国から分離し、アメリカ連合国を結成、アメリカは南北に分裂して南北戦争に突入することとなる。
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