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ジェファソン=デヴィス

1861年、アメリカ南部諸州が結成したアメリカ連合国の大統領。南北戦争で敗れた。

 アメリカ連合国(南部連合)の大統領。ミシシッピの大プランター(農園主)であった。アメリカ合衆国の連邦上院議員であったが、ミシシッピ州が連邦を離脱したので、辞任した。
 1860年、大統領選挙で奴隷制度拡大反対を掲げたリンカンが当選したことから、同年末、南部諸州は連邦離脱を決定し、翌1861年、南部諸州が結成したアメリカ連合国の大統領に選出された。

南北戦争で南部を率いる

 こうして南北戦争で南部を率いることとなったが、南部は彼のもとで統一されていたわけではなく、戦争中はその反対派に苦しめられた。結局、南北戦争は多大な犠牲を出しながら1865年に南部の敗戦で終わった。
 ジェファソン=デヴィスはその内閣や議会とともに逃亡したが、5月10日、ジョージアで北軍に捕らえられ、2年間モンロー要塞で獄中生活を送った。その後、反逆罪で訴えられ裁判となったが、保釈金を払って釈放され、1868年に官職に就くことを除き市民権を回復した。

NewS アメリカ連合大統領デービスの像、破壊される

 2020年5月~6月、ミネアポリスでの白人警官の暴行によって黒人容疑者が殺された事件をに起こった黒人暴動は、一時はトランプ大統領がアメリカ軍の出動を示唆したことからかえって大事になった。殺害された黒人の兄弟が略奪などの暴動を必死に止めたこともあって、略奪などの行為は見られなくなったようだが、運動は合法的・大衆的なデモとともに、黒人差別の歴史的な原因である黒人奴隷制度に結びつく銅像の撤去の動きや、施設名・地名の変更、さらには映画「風と共に去りぬ」の配信中止などの、歴史の見直しの動きとして強まっている。ヴァージニア州の州都リッチモンドではこのアメリカ連合国(南部)の大統領であったジェファソン=デヴィスの銅像が、デモ隊の手によって引き倒された。
 これに対して、歴史遺産として残すべきであるという声もあるという。現代という人種問題が先鋭化している中で、南部の栄光を伝えるというデービス像にとっては受難の時期であるに違いない。黒人にいわせれば、実際に多くの黒人の命が南部で失われたことに比べれば、歴史的遺産とはいいながら物体に過ぎない銅像を破壊する暴力には痛みは伴わない、ということであろうか。
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