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ドラクロワ

19世紀前半、フランスのロマン主義絵画の代表的作家。ギリシア愛護主義の『キオス島の虐殺』、七月革命を描いた『群衆を導く自由の女神』で知られている。

アルジェの女たち
ドラクロワ『アルジェの女たち』1834
 ドラクロワ Eugène Delacroix 1798-1863 は、19世紀前半のフランス・ロマン主義絵画の代表的作家。1822年の『ダンテの船』、1824年の『キオス島の虐殺』(シオ島の虐殺)を発表し、ダヴィドアングルなどの古典主義が主流を占めていたサロンを驚かせ、賛否両論の論争を巻き起こした。その荒々しい色彩とタッチは、端正で安定的な古典派からは「狂気の作品」として非難され、若い作家からは新しい時代を開くものとして賞賛された。「世にドラクロワほど烈しい論争をまき起こした作家は、古往今来恐らく類がないであろう」<坂崎坦『ドラクロワ』1967 朝日選書>と言われている。
作品:題材に歴史的なものも多いので、よく教科書に採られており、ギリシア独立戦争の際の『キオス島の虐殺』(『シオの虐殺』)、あまりにも有名な1830年の七月革命を描いた『民衆を率いる自由の女神』がある。ドラクロワは七月王政のもとで、外交使節に随行してモロッコ・アルジェリアを旅行し、1834年に『アルジェの女たち』などを発表した。それらの作品は、生き生きとした色彩を用いた個性豊かな描写で、後の印象派にも強い影響を与えた。またショパンやその愛人であった作家のジョルジュ=サンドとも交流があり、『ショパンの肖像』の作品もある。他に、ルーブル美術館の天井画など、65年の生涯で9182点の作品を残している。<同上> ※ドラクロワの出生を巡るうわさ → タレーラン

キオス島の虐殺

キオス島の虐殺
ドラクロワ『キオス島の虐殺』1824
 ドラクロワ(26歳)の1824年の絵画作品。ギリシア独立戦争を支援するという情熱を絵画であらわしたロマン主義絵画の代表的な例。1822年に起こったオスマン帝国のトルコ軍がエーゲ海のキオス島のギリシア人住民の多数を虐殺した事件を描いている。この事件はヨーロッパに広く知られ、ギリシア愛護主義が盛り上がった。イギリスの詩人バイロンは自ら義勇兵の一人としてギリシアに赴いたが、1824年の4月に現地で病死した。
 バイロンの詩に心酔していたドラクロワはただちにこの惨劇を主題として取り上げた。画面は濃い青色の海を遠景に、騎馬のトルコ兵とその足下の死骸、呆然としたギリシアの男女を描いており、その荒々しい筆致は当時の見る人を驚かし、批評家は激しく非難された。<坂崎坦『ドラクロワ』1967 朝日選書p.11-14>
出題 07年 成蹊大(法)「右の図の主題は、ある国の独立運動の過程でおこった出来事である。この国の独立の過程についての記述として不適切なものは次のどれか。
1.イギリスの詩人バイロンは、この独立運動に義勇兵として参加した。
2.エジプトや、この独立運動の鎮圧をめざす側に立って参戦した。
3.ナヴァリノの海戦では、この独立運動を支援するイギリス・オーストリア・ロシアの連合艦隊が勝利を収めた。
4.ロンドンで開かれた国際会議において、この国の独立が国際的に承認された。

解答 → 

民衆を率いる自由の女神

民衆を率いる自由の女神
出題 05年 早大(一文)「右図は、シャルル10世の反動政治に対し蜂起したパリ市民が、自由の女神に導かれ闘う様子を、躍動感のある動きのうちにとらえ、革命の精神をあらわしている。」
 問1 この図を描いた画家は、ショパンやサンドと交流し、ロマン派の画風を確立した。それは誰か。
 問2 ここで描かれている革命の名称を記しなさい。
 問3 A=この作品  B=マネの『マクシミリアンの処刑』  C=ダヴィドの『ナポレオンのアルプス越え』 の三点で描かれている出来事を年代順に並べなさい。

解答 →