リカード
18~19世紀初頭のイギリスの古典派経済学者。自由貿易主義を理論化した。
リカード David Ricardo(1772~1823) はイギリスの古典派経済学者で、アダム=スミス以来の自由貿易主義を発展させ、イギリス資本主義発展の理論的支柱となった。
彼は、主著『経済学及び課税の原理』(1819年)で、イギリスとポルトガルの例を取り上げて、毛織物とぶどう酒を両国が貿易を行わず生産した場合と、両国がいずれかの生産に特化し、自由に貿易を行った場合を比較して論じた。
A・両国が毛織物とぶどう酒をそれぞれ生産する場合(当時はいずれもポルトガルがその生産技術が上回っていた)
イギリスは毛織物を100人で100単位を、ぶどう酒を120人で100単位を生産し、ポルトガルは毛織物を90人で100単位を、ぶどう酒を80人で100単位を生産する。両国合計では、毛織物は190人で200単位、ぶどう酒は200人で200単位生産することになる。
B・両国が毛織物かぶどう酒のいずれかに特化して生産する場合
イギリスは毛織物を220人で220単位を生産でき、ポルトガルはぶどう酒を170人で212.5単位生産できる。つまり、Aの場合より毛織物は20単位、ぶどう酒は12.5単位多く生産できることになる。
このように、各国がそれぞれの生産性の高い分野に産業を「特化」するという「国際分業」を行い、自由な貿易を行うことが、全体の利益をもたらすことを明らかにした。また自由貿易が行われれば、相対的に生産性の高い商品に生産が特化していくという、比較優位の原理があることを明らかにした。リカードはこの考えに基づき、19世紀前半までのイギリスの保護貿易政策を批判し、自由貿易を主張した。産業資本家の中にも自由貿易を主張する人々が増え、その運動が功を奏して1846年に穀物法廃止に現れている自由貿易主義に転換することとなった。
自由貿易論の落とし穴 リカードが、イギリスの毛織物とポルトガルのワインをそれぞれが特化した商品として生産し、自由に貿易することの例としてあげたのは、1703年のメシュエン条約である。しかしこの条約は、副産物としてブラジルの金が一方的にイギリスに流れ込むという事態を生んでおり、自由貿易で双方が豊かになると言うことではなかった。
リカードの比較生産費説
David Ricardo
1772-1823
A・両国が毛織物とぶどう酒をそれぞれ生産する場合(当時はいずれもポルトガルがその生産技術が上回っていた)
イギリスは毛織物を100人で100単位を、ぶどう酒を120人で100単位を生産し、ポルトガルは毛織物を90人で100単位を、ぶどう酒を80人で100単位を生産する。両国合計では、毛織物は190人で200単位、ぶどう酒は200人で200単位生産することになる。
B・両国が毛織物かぶどう酒のいずれかに特化して生産する場合
イギリスは毛織物を220人で220単位を生産でき、ポルトガルはぶどう酒を170人で212.5単位生産できる。つまり、Aの場合より毛織物は20単位、ぶどう酒は12.5単位多く生産できることになる。
このように、各国がそれぞれの生産性の高い分野に産業を「特化」するという「国際分業」を行い、自由な貿易を行うことが、全体の利益をもたらすことを明らかにした。また自由貿易が行われれば、相対的に生産性の高い商品に生産が特化していくという、比較優位の原理があることを明らかにした。リカードはこの考えに基づき、19世紀前半までのイギリスの保護貿易政策を批判し、自由貿易を主張した。産業資本家の中にも自由貿易を主張する人々が増え、その運動が功を奏して1846年に穀物法廃止に現れている自由貿易主義に転換することとなった。
自由貿易論の落とし穴 リカードが、イギリスの毛織物とポルトガルのワインをそれぞれが特化した商品として生産し、自由に貿易することの例としてあげたのは、1703年のメシュエン条約である。しかしこの条約は、副産物としてブラジルの金が一方的にイギリスに流れ込むという事態を生んでおり、自由貿易で双方が豊かになると言うことではなかった。