印刷 | 通常画面に戻る |

アダム=スミス

18世紀後半のイギリスの経済学者、思想家。『諸国民の富』の著者。産業革命進行中の1776年に『諸国民の富』(『国富論』)を発表、自由主義経済理論を体系化して「古典派経済学」の父と言われている。

アダム=スミス
Adam Smith 1723-1790

自由主義経済思想

 アダム=スミスは、産業革命が進展している最中のイギリスで、1776年『諸国民の富』(『国富論』)を発表し、労働が富の源泉であり、自由な経済活動こそが国家の経済を発展させるという新たな経済理論を打ち出し、資本主義経済を理論づける役割を担った。

スコットランド人、アダム=スミス

 アダム=スミスは1723年、スコットランドに生まれグラスゴー大学に学び、イングランドに赴いてオックスフォード大学でも学んだが、中途退学し、スコットランドに戻った。51年からグラスゴー大学の論理学教授、ついで道徳哲学教授として学究に64年代学を止め、フランスに渡りヴォルテール、ダランベール、ケネー、テュルゴーらの啓蒙思想家と交流を持ち、特にケネーの経済学の影響を受けた。スコットランドに戻ってから関税委員として公務に就いたほかは研究と執筆にあたり、最後はグラスゴー大学総長となったがほどなく90年、67歳で没した。スコットランドはフランスと並んで啓蒙思想が盛んであり、1707年イギリスに統合されてからも独自の知的活動が盛んなところだった。アダム=スミスの研究は道徳哲学から始まっており、ヒュームの経験論哲学を継承しながら、ケネーに学んだ経済学と結びつけ、人間の経済活動における道徳観を糾明するという課題を持っていた。その主著も有名な『諸国民の富』と並んで『道徳感情論』があげられてる。<堂目卓生『アダム・スミス』2008 中公文庫>

18世紀のイギリス

 アダム=スミス以前の絶対王政時代の経済思想には、貨幣=金銀を富と考え、国家による保護関税や産業保護などの経済政策を主張する重商主義が主流であったが、それに対して農業が富を生み出す源泉であると考え、個人の自由な経済活動を自由放任(レッセフェール)することを主張する重農主義が次第に主張されるようになっていた。イギリスは名誉革命によって議会制度・政党政治の体制を作り上げ、ジェントリや産業資本家を中心とした立憲国家となっていたが、その経済政策は、依然として重商主義を採っており、東インド会社などの特許会社による保護貿易を経済政策の柱として、三角貿易(大西洋貿易システム)を展開していた。18世紀イギリスは、議会制民主主義が定着すると共に、産業革命と大西洋貿易によって支えられた、植民地帝国(第一帝国)の繁栄の時期を迎えていた。
 しかし経済の発展は、イギリス社会に新たな貧富の差を生み出し、都市問題・労働問題といった新たな問題が表面化させた。イギリスの国家財政も経済の発展にもかかわらず、一方でのフランスとの長い植民地抗争(第2次英仏百年戦争アメリカ独立戦争による出費を国債に依存していたため、その利払いのために増税しなければならなくなり、国民の負担像に対する不満も広がっていた。そのような中で新興勢力として台頭した産業資本家にとっては、古い重商主義による様々な規制は次第に障害となってきており、重商主義に代わる新たな経済理念とともに、如何にして国家の富を増やすことができるか、が問われるようになった。そこに登場したのがアダム=スミスであった。

アダム=スミスの経済思想

 アダム=スミスは、重商主義を否定し、さらに重農主義を一歩進めて、富の源泉となるのは農業や商工業での労働そのものにあるとして、労働価値説を主張した。労働価値説の考えでは、労働が価値を生み出す源泉であり、分業などによってその生産能率を高めることによって冨を増やすことができるというものである。さらに、労働価値を高めるためには、設備投資や資本の蓄積が必要であるとし、市場において自由に競争することによって生産性が高まり、社会全体の進歩の原動力であると考えた。これが自由主義経済思想ともいわれるアダム=スミスの思想である。
「見えざる手」 このようにアダム=スミスは経済政策では国家の規制や介入を排除し、市場原理に任せるべきであると主張した。各人の利己心の追求に任せては市場における競争が経済秩序を破壊する恐れがあるので、国家が保護したり介入すべきだという批判に対しては、「市場の自動調節機能」(需要と供給の関係によって価格が自動的に決まる市場原理,メカニズム)という「見えざる手」によって価格はおのずと調整されると考えた。

古典派経済学の成立

 このアダム=スミスの経済学説は、イギリス産業革命の理論的支柱となり、資本主義社会の発展をもたらしたと言える。また経済思想の歴史においては、近代経済学の基礎となる古典派経済学を体系づけたことと也、アダム=スミスは「古典派経済学」の父と言われている。
 このアダム=スミスの経済理論は、19世紀のリカードらによってさらに発展し、30年代以降のイギリスの自由貿易主義政策に取り入れられて、イギリス資本主義の繁栄を理論的に支えた。

ケインズによる修正

 アダム=スミスの説く資本主義の自由競争は、やがて先進諸国による植民地や勢力圏獲得競争から帝国主義に転化し、一方で資本主義を否定する社会主義理論と厳しく対立することとなった。20世紀には資本主義の無制限な競争が世界恐慌という経済不安を産みだしたことから、古典派経済学の自由放任主義を、国家の介入・規制による雇用政策や社会福祉などによって修正する修正資本主義(あるいは社会主義的な要素を取り入れることから混合経済ともいう)を説くケインズ学派が有力となり、戦前のニューディール政策や戦後のイギリス労働党の福祉政策が主流になった。

新自由主義

 ところが1960年代になると先進諸国のケインズ主義的な経済政策は「大きな政府」となって財政を破綻させ、増税が経済成長を阻害するという批判がでてきて、ふたたび市場原理を優先して政府の規制や介入を極力排除するべきであるという新自由主義経済学が現れた。アメリカのシカゴ学派(ミルトン=フリードマン)らのこの思想は、経済調整はマネーサプライ(通貨供給)によって行うべきであると主張しており、マネタリストとも言われる。
 1980年代のイギリスのサッチャー政権、アメリカにおけるレーガンはこの新自由主義経済政策を採用し、規制緩和や公営企業の民営化、財政支出の削減、減税など、いわゆる「小さい政府」を目ざした。この市場原理主義の経済理論はその後も影響力を持ち続けているが、その反面として福祉政策の削減、雇用の流動化などが進み、貧富の差が拡大するという状況が現れるようになった。イギリスではサッチャー政権を継承したメジャー内閣に代わって登場した労働党ブレア内閣は、新自由主義にこだわらない「第三の道」をめざすとした。アメリカではブッシュ(子)政権が新自由主義政策を継続し、大幅な金融自由化が行われた結果、投機的な金融商品が増大し、2007~08年にかけてそのバブルがはじけてリーマン=ショックが起きるという事態となり、世界恐慌の危機が再現された。日本では80年代の中曽根内閣での国鉄民営化、21世紀に入ってからの小泉内閣の郵政民営化、安倍内閣のアベノミクスによる金融緩和など、自民党政権は新自由主義政策を推進した。

諸国民の富(国富論)

1776年に刊行されたイギリスのアダム=スミスの主著。富の源泉を労働にあるとし、自由な競争による経済発展を説いた。

 1776年、イギリスで刊行されたアダム=スミス(1723-90)の主著。An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations 日本ではかつては『国富論』とされるのが一般的であったが、『諸国民の富』とされることが多くなった。現在の日本語翻訳本は何種類かあるが、両方とも用いられている。

1776年の刊行

 本書が公刊された1776年3月は、すでに前年にアメリカ独立戦争が始まっており、同年7月4日にはアメリカ合衆国独立宣言が出されている。イギリスにとっては巨大な植民地の喪失という危機に直面していたわけだが、同時にイギリスではワットの改良した蒸気機関が普及し、イギリス産業革命が展開されている時期でもあった。同じ年、フランスではルイ16世の宮廷で財政改革に当たっていたがテュルゴー財務総監が罷免され、ブルボン朝の危機が深刻化し、やがて1789年にフランス革命が勃発する。そのような時期にこの書が発表されたことをまず押さえておこう。

古典派経済学

 アダム=スミスはこの書で、富の源泉は人間の労働であり(労働価値説)、個人の経済活動を自然のまま、自由に放任しておくこと(自由放任、レッセ=フェール)が富を拡大するという自由主義経済理論を説いた。自由放任はすでにフランスで重農主義を提唱したケネーが、絶対王政のもとで重商主義による貿易利益ではなく、農業生産力こそが富の源泉であり、国民の自由な経済活動の原理として触れていたが、アダム=スミスは農業だけでなく商工業での自由放任が国の経済を成長させると主張し、その上での自由貿易主義(関税の軽減など)を論じた。また、アダム=スミスは同書で、個人的な利益の追求は社会全体の利益を損なわないように自ずと「見えざる手」によって調整されるというメカニズムが働く、と論じた。
 この書によって、それまでイギリス政府が採っていた重商主義による保護貿易政策は見直されるようになり、自由競争という資本主義経済の原理が広く認められ、次の19世紀イギリスの経済発展がもたらされた。アダム=スミスの経済学説は、さらにリカード(1772~1823)やマルサス(1766~1834)らによって深められてゆき、古典派経済学として体系化された。その後も『諸国民の富』はその基本的文献とされている。イギリスでは、1830年代に一連の自由貿易主義への転換がはかられ、それによって植民地支配が強化、拡大されて第二次イギリス帝国の繁栄がもたらされた。
印 刷
印刷画面へ
書籍案内

堂目卓生どうめたくお
『アダム・スミス』
『道徳感情論』と『国富論』の世界
2008 中公新書

アダム=スミスの思想を二冊の主著から詳細に究明。スミスの原文には当たる余裕がなく、とりあえずその概略を知りたいという人には絶好の書。サントリー学芸賞受賞。