ラーマ4世
19世紀中ごろのタイ、ラタナコーシン朝の王。タイの近代化に努めた。イギリス人女性を王子の家庭教師としたことでも知られる。
タイ(シャム)のラタナコーシン朝の第4代の王(在位1851~1868)。王子時はモンクットと称した。若い頃、27年間の出家生活を送る。その間、サンスクリット語やパーリ語などさまざまな学問を修め、一方でバンコクに来ていたキリスト教宣教師から英語を学び、ヨーロッパの文明を積極的に取り入れる姿勢を身につけた。またタイの歴史にも関心が高く、自らスコータイ朝のラームカムヘーン王が1283年に作ったという石碑を発見した。その碑文はタイ文字で書かれ、タイの繁栄と伝統の始まりとされる歴史的記念物とされている。ラーマ5世(チュラロンコン王)の父。
これによって王室の貿易独占体制がくずれたので、ラーマ4世は財政収入の安定の必要に迫られ、徴税請負制度を強化し、開国によって始まった米などの輸出に力を注ぐことになった。特にチャオプラヤー川デルタで生産される米はタイを代表する商品作物となり、水田地帯には運河が掘削され、生産力も向上した。タイ産の米はイギリス本国ではなく、その植民地拠点であるシンガポール、ペナン、香港に輸出され、そのかわりにイギリスの工業製品、とくに繊維製品が輸入された。こうしてタイとイギリスの経済関係は密接になっていった。
原作の小説が発表されたのが1944年、翌々年すぐに『アンナとシャム王』として映画化され、さらにミュージカル化されてあたったのを再び映画化したものだった。ただしこれらの映画は、タイ側からすればラーマ4世(モンクット王)を正しく伝えていないと評判が悪く、アンナという女性には虚言癖があり、王とのエピソードは史実では無く創作がかなり含まれているという。実際のラーマ4世は粗野な王ではなく、学問や文化に詳しい人物だったようだし、アンナは単なる英語の雇われ教師に過ぎず、王との交流は密ではなかったらしい。タイでは現在も不敬罪が存在するので、第1作もこの映画も、上映禁止になっている。<『タイの事典』p.69 黒田景子>
さらに1999年には、ジョディー=フォスター、チョウ=ユンファ(香港のスター)競演で三度めの映画化がなされた。こちらも同じ小説を原作としているが、ミュージカルではなく、ラーマ4世とアンナの交流を丁寧に描きながら、タイをめぐる英仏の抗争、封建社会と近代化の間にあるきしみ、それに二人の抑制された愛が、きらびやかで物珍しいタイの宮廷や風景を舞台とした歴史劇として作られている。19世紀中期、ヨーロッパ帝国主義の波に洗われて変わろうとする東南アジアの歴史を、あくまで西洋の眼で見て描いているが、それらを踏まえて見れば参考になる。この『アンナと王様』も、タイでは同じように国王に対する不敬な描写があるとして上映禁止になっている。
中国への従属を解消
ラーマ4世(モンクット王)は世界に目を向け、その中でタイ王国の独立をはかる必要を意識し、イギリスのヴィクトリア女王や、フランスのナポレオン3世に親書を送り、さらにアメリカの南北戦争に際してはリンカン大統領に戦象を送ることを申し出たりしている。1854年には清朝への朝貢を停止し、従来からの中国王朝への従属関係を解消した。<柿崎一郎『物語タイの歴史』2007 中公新書 p.107>タイの開国
1855年、イギリスの特使ボウリングとの間で通商条約(ボウリング条約)を締結し、宮廷の貿易独占を改めて自由貿易を受け入れたが、同時に定率3%の関税と領事裁判権を認めた。これによって王室の貿易独占体制がくずれたので、ラーマ4世は財政収入の安定の必要に迫られ、徴税請負制度を強化し、開国によって始まった米などの輸出に力を注ぐことになった。特にチャオプラヤー川デルタで生産される米はタイを代表する商品作物となり、水田地帯には運河が掘削され、生産力も向上した。タイ産の米はイギリス本国ではなく、その植民地拠点であるシンガポール、ペナン、香港に輸出され、そのかわりにイギリスの工業製品、とくに繊維製品が輸入された。こうしてタイとイギリスの経済関係は密接になっていった。
Episode 『王様と私』
ブロードウェイのヒット・ミュージカルを映画にした『王様と私』(1956)で、家庭教師デボラ=カーを手こずらせる粗野な王でユル=ブリンナーが演じていたのがラーマ4世だ。これは実在の家庭教師イギリス人女性のアンナ=レオノーウェンスの体験談を本にしたマーガレット=ランドンの小説『アンナとシャム王』が原作。Shall we dance. をはじめとするヒットナンバーと、何よりもユル=ブリナー(この作品でアカデミー賞主演男優賞を獲得した)の快演が印象的だった。原作の小説が発表されたのが1944年、翌々年すぐに『アンナとシャム王』として映画化され、さらにミュージカル化されてあたったのを再び映画化したものだった。ただしこれらの映画は、タイ側からすればラーマ4世(モンクット王)を正しく伝えていないと評判が悪く、アンナという女性には虚言癖があり、王とのエピソードは史実では無く創作がかなり含まれているという。実際のラーマ4世は粗野な王ではなく、学問や文化に詳しい人物だったようだし、アンナは単なる英語の雇われ教師に過ぎず、王との交流は密ではなかったらしい。タイでは現在も不敬罪が存在するので、第1作もこの映画も、上映禁止になっている。<『タイの事典』p.69 黒田景子>
さらに1999年には、ジョディー=フォスター、チョウ=ユンファ(香港のスター)競演で三度めの映画化がなされた。こちらも同じ小説を原作としているが、ミュージカルではなく、ラーマ4世とアンナの交流を丁寧に描きながら、タイをめぐる英仏の抗争、封建社会と近代化の間にあるきしみ、それに二人の抑制された愛が、きらびやかで物珍しいタイの宮廷や風景を舞台とした歴史劇として作られている。19世紀中期、ヨーロッパ帝国主義の波に洗われて変わろうとする東南アジアの歴史を、あくまで西洋の眼で見て描いているが、それらを踏まえて見れば参考になる。この『アンナと王様』も、タイでは同じように国王に対する不敬な描写があるとして上映禁止になっている。