プエルトリコ
西インド諸島のスペイン領植民地であったが、米西戦争でアメリカ領となり現在はアメリカの自治領となっている。
プエルトリコ GoogleMap
コロンブスの西インド到達以来、カリブ海域にスペイン船の到来が続いたが、プエルトリコ島には1508年にポンセ=デ=レオンが探検し、初代総督となってスペイン領に編入した。アラワク人と言われるインディオが居住していたが、スペイン人が入植して農園で酷使されたため激減、さらに絶滅した。サトウキビの栽培と砂糖の砂糖プランテーションが導入され、代わりの労働力としてアフリカからの黒人奴隷が導入された。
17世紀になるとスペインの後退に乗じてオランダやイギリス、フランスの海賊によってしばしば攻略された。18世紀末、となりのエスパニョーラ島(フランス領サンドマング)で黒人暴動からハイチの独立運動が起こったが、プエルトリコには及ばず、その後もスペイン領として続き、奴隷解放も西インド諸島でキューバとともに遅れ、1873年だった。
米西戦争でアメリカ領に
キューバの独立をめぐって起こったスペインとスペインの間の、1898年の米西戦争の結果、パリ条約でアメリカ合衆国領とされた。現在はアメリカの自治領となっている。1917年、アメリカ政府はプエルトリコ住民に市民権を与え、大統領の指名した知事が治めることとなった。1948年から知事は公選され52年には憲法も制定されて完全な自治が認められた。現在は準州として軍事・外交はアメリカ合衆国に委ねているが、その他の民政に関しては独自の議会と政府を持って運用している。完全な独立を主張する者もいるが、大勢にはなっていない。
ニューヨークのプエルトリコ人
米西戦争の結果として、プエルトリコはアメリカ合衆国の自治領となったことにより、大量のプエルトリコ人がアメリカに移住した。その大半の行く先はニューヨークであり、彼らが棲みついたのがウエスト・サイドだった。ウエスト・サイドのプエルトリコ系居住区の隣にはイタリア系の居住区があった。このニューヨークの貧しい移民の集団に属する若者がそれぞれグループを作って張り合った。そのいがみ合いの中で、ちがった人種の男女の間に芽生えた純愛を描いた映画が『ウェストサイド物語』だった。